English page

トップページ
NEWS
ケルティック 能『鷹姫』とは?
公演詳細
チケット
出演者
『鷹姫』あらすじ
『鷹姫』発展の歴史
梅若玄祥と『鷹姫』
ケルティック・コーラス アヌーナについて
原作者W.B.イェイツについて
応援コメント
日本とケルト
能の世界的な影響
会場案内

応援コメント
各方面から応援のメッセージが続々到着!
随時更新中。

◆駐日アイルランド大使 アン・バリントン
◆佐野史郎(俳優)
◆高橋信也(森美術館顧問)
◆鶴岡真弓(多摩美術大学・芸術人類学研究所所長&芸術学科教授)
◆小泉 凡(島根県立大学教授・小泉八雲曾孫)
◆光田康典(作曲家)
◆小沼純一(音楽・文芸批評家)
◆勅使河原季里(いけばな草月 アート・プロジェクト・ディレクター)
◆渡辺洋子(アイルランド伝承文学研究家)
◆海老澤邦江(イェイツ研究家、江戸川大学教授)
◆佐藤泰人(日本アイルランド協会事務局長・東洋大学文学部准教授)
◆宇田川晴義(東洋大学名誉教授)



ウィリアム・バトラー・イェイツ原作
ケルティック 能『鷹姫』公演に寄せて
駐日アイルランド大使からのメッセージ

W.B.イェイツの傑作戯曲『鷹の井戸』を原作とした、ケルティック 能『鷹姫』というこのユニークで歴史的な舞台の実現に際し、関係者の皆様に心よりお慶び申し上げます。

1917年3月に『鷹の井戸』が出版されてから100周年の節目の年に、一夜限りのこの特別な公演が行われることとなりました。著名な能楽師の梅若玄祥氏と、アイルランドのコーラスグループ「アヌーナ」のリーダーであるマイケル・マクグリン氏によって、両国の素晴らしい文化を織り込んだ共同作品が生まれたのです。2017年はアイルランドと日本の外交関係樹立60周年でもあり、その記念行事として本公演は大変相応しいものです。

W.B.イェイツの作品は世界中で、あらゆる年齢層、さまざまな立場の人から愛されています。日本でも、彼の豊かな、時に謎めいた表現力が、多くのアーティストや作家に影響を与えてきました。同様に、イェイツ自身も、日本の伝統演劇の神秘性や象徴主義から刺激を受けていました。

アイルランドと日本との文化的繋がりは、繁栄する両国の友好関係の柱の一つであります。そして、イェイツという人物、特に彼の日本演劇への造詣は、その友好関係の中で重要な位置を占めています。

今回の『鷹姫』公演を通じ、両国の特別な関係について日本の友人の皆様方により広く知っていただき、ひいては、より多くの日本の方々がアイルランドを訪れて両国の結びつきを実際に感じてくださることを願います。

最後になりましたが、本公演に向け長期に渡り取り組んでこられた、川島恵子社長をはじめとしたプランクトンの皆様に感謝申し上げます。Bunkamuraオーチャードホールという素晴らしい会場で、このプロジェクトが実を結んだことを非常に喜ばしく思っております。

ケルティック 能『鷹姫』という歴史と芸術の旅を、皆様方にお楽しみいただけることを期待しております。

駐日アイルランド大使
アン・バリントン




 初めてアイルランドを訪れたのは、小泉八雲〜ラフカディオ・ハーンの故郷を訪ねるテレビ番組の撮影のためだった。
 すぐにわかった。
 この妖精の国が、日本ととてもよく似ていることを。
 大陸を隔てた西と東の果ての島国。
 小泉八雲の父はアイルランド出身、母はギリシャのレフカダという島にいた。
 神々の国、ギリシャ。
 妖精、様々な神々、八百万の神々や妖怪、モノノ怪たちが住む世界に国境はない。
 八雲は日本にいち早くアイルランドの作家イエイツを紹介し、イエイツもまた日本の幽玄の世界に魅せられ、永く連なるこの列島の芸能の脈をたどった。
 それはアイルランドの水脈とも連なり、「能」の形を持って現れた。
 イエイツが表したケルティック 能「鷹の井戸」は日本に循環し、「鷹姫」となった。
 この極西と極東の島国に流れる水脈が、今、また通じ、吹き出す瞬間を目にする。
 ここにこそ永遠の命がある。

佐野史郎(俳優)



「鷹の井戸」往還記

アイルランドの詩人によって百年前に書かれた一篇の詩劇が、現在に至るも内外のアーティストを触発し続けることになるとは、誰が想像しただろうか?

著者W.B.イェーツに「能」の訳稿を渡し、インスピレーションを齎した美術史家アーネスト・フェノロサ、詩人エズラ・パウンド。「鷹の井戸」上演の契機ともなった、当時ロンドンにいた日本人舞踊家伊藤道郎による初演(1916)と、その大成功。
その後、渡米した伊藤によるアメリカでの上演(1918、1929)を経て、伊藤の帰国の折に芸術家兄弟でもあった舞台装置家伊藤熹作、演出家千田是也(伊藤圀夫)らによって日本語での原作上演(1939)が行われる。

日本の「能」の様式を模し、現世と異界が交差するケルトの神話世界を背景に、言葉、音楽、舞踊の諸要素を鏤めた仮面劇にコロスが登場する上演スタイルである。そのスタイルが、後の様々な分野からのアプローチを可能にした。
そう考えれば「鷹の井戸」(1916)は、その出生の経緯からして「異種格闘技」をむしろ運命づけられた作品だったと言い得るのかもしれない。
しかし、違和感もある。「能」と根本的に異なる点は、西洋のドラマは「二項対立」を原理とし、「能」のドラマは「自己浄化」だといわれる点である。
戦後、原作をもとに横道萬里雄による新作能「鷹の泉」(1949)が創作され、さらに大胆に改稿された新作能「鷹姫」(1967)が執筆された。その作曲初演は夭折の能役者観世寿夫によるものだった。

原作では老人と若者の「井戸争い」の後、鷹の女が舞い、老人は絶望の淵に沈む。若者は突然現実に覚醒し、戦場へと向かう。
能「鷹姫」では、老人と若者は時制を異にするものの、同一人物であるかのような解釈が一般的に見られる。ここではイェーツの原作は、横道萬里雄によって完成度の高い「能」のドラマに見事に回収されたかに見える。
詩劇「鷹の井戸」と新作能「鷹姫」。時空を超えて、二つの表現の核が成立した。

その領野で、並行して様々な試みが行われて来た。観世栄夫演出によるダブリンでの原作上演や詩人高橋睦郎による翻案上演。狂言師野村萬斎、音楽家坂本龍一、舞踊家森山開次らによる上演。現代美術の分野ではイギリスのアーティスト、サイモン・スターリングによるエドマンド・デュラックの衣装(再製作)による展示、等々。その拡がりは枚挙にいとまがない。

フェノロサが能を知ったのが初世梅若実からだったことは印象深い。曾孫であり、当代を代表する能楽師として他分野とのコラボレーションを積極的に展開してきた梅若玄祥氏と、ケルトの薄明を歌うボーカルグループ「アヌーナ」によるケルティック 能「鷹姫」の上演は、イェーツが生み出した「鷹の井戸」をめぐる星雲の中央に位置する、もう一つの「正統」になるのだろうか。
高橋信也(森美術館顧問)



魂のアニメイト ―――

アイルランドと日本は、地理的に1万キロも離れているが、「自然を畏れ敬う」自然信仰と、アニミズムにおいて、この東西の極みにある2つ島国は、先史時代から精神の隣人といってよい。

たとえば「アニミズム」への共感。「アニミズム」とは、たんに「モノに霊魂が宿る」とする観念のことではなく、正しくは「モノに宿る霊魂が≪つねに活動している≫」と信じる心であり観念のことである。生きとし生けるもの、有機物はもちろんのこと、石ころなどの無機物にも、魂(アニマ)が内在しており、それが≪絶え間なく生命的な活動(アニメイト)している≫と信じる生命観のことなのである。

止まっている魂ではなく、つねにダイナミックに「うごめく魂」を、信じ、みつめる。そうした精神と信仰が、古来アイルランドのケルト文化にも育まれてきた。そのアイリッシュ・ケルトの音楽、文学、美術、舞台芸術をとおして、日本人はそのアニメイトする魂の表出に強い共感をいだいてきた。

そしてこのたび、その≪うごめく魂≫をアイルランドと日本の芸術によって表現する、奇跡のようなチャンスが訪れた。アイルランドのケルティック・コーラス(アヌーナ)と、日本の能楽のマイスター梅若玄祥氏によるケルティック能、『鷹姫』の上演である。19世紀末のケルト文芸復興の騎手W・B・イエイツの『鷹の井戸』を霊感源とし、世界初の能と神秘のコーラスがTOKYOで出会う。

アイルランドを旅すると、いくつも「聖なる泉」に出会える。その泉は、人の運命を見守り、再生をうながす井戸でもある。鷹はケルトが属する印欧語族の神話において「太陽の化身」でもある。このステージは、幻想の時空にして、同時に、現在の世界諸国が直面する困難時代に、一条の光を投げかける、新しいケルト/日本の神話となるだろう。
それを未来へと語り継いでいくのは、このたび幸運にもこの初舞台を目撃する、ほかならない私たちなのである。

鶴岡真弓(多摩美術大学・芸術人類学研究所所長&芸術学科教授)



 126年前にアイルランド人作家パトリック・ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)が地球を半周以上めぐって横浜に到達して、最初に感動に震えた場所は、江ノ島の龍神の岩屋だった。その1年半後に、島根半島の霊場で賽の河原、加賀(かか)の潜戸(くけど)を訪れ、人間の魂のふるさととしての海と水に思いを巡らせた。
そして自分より15歳若いイェイツの愛読者となり、文通が始まった。中でも晩年のハーンが1901年9月に東京から出したイェイツあて書簡では、自分がアイルランドを愛する訳を、乳母キャサリンが語ってくれた妖精譚と怪談にもとめている。家族にも語らなかった祖国への愛の告白だった。
 柳田國男もかつてイェイツの『ケルトの薄明』を読んで、ザシキワラシとよく似た妖精がアイルランドにもいることに驚きと喜びを覚え、「遠野物語」の執筆に自信と弾みをつけた。
 水への信仰、異界のものたちへの親近感、その根底にあるアニミズム。アイルランドと日本の親和性をハーンもイェイツも柳田もしっかりと受け止めていた。
梅若玄祥氏とアヌーナによる日愛基層文化の響きあう共演の実現を心から喜んでいる。人間世界だけで完結しない豊かな世界の意味を、あらためて現代社会に気づかせてくれるだろう。
            
小泉 凡(島根県立大学教授・小泉八雲曾孫)



夢のようなコラボレーションがとうとう実現してしまった。
アイルランド人作家W.B.イェイツが書いた『鷹姫』を 世界で最も美しいコーラス・グループ“アヌーナ”の歌声と共に人間国宝である梅若玄祥氏が舞う。
まさに奇跡である。そんな奇跡が起きてしまったのである。
「能」は難しいもの、また、ある特定の人のみが楽しむもの、という認識を持っている方も少なくないと思うが、予備知識なく「無」になって見てみると自分自身にもありとあらゆる物事にも新たな発見があるかもしれない。そしてきっと、日本とアイルランドの根底にある深い精神と深い絆を感じとる事が出来るだろう。
この奇跡の「共鳴」は二度と見る事が出来ないかもしれない。
一見の価値あり。
光田康典(作曲家)



海をわたってきた若者が、水を待つ。

井戸はからからじゃった、わしはこの縁に腰をおろし、
霊顕あらたかな水の溢れてくるのを待った、そう、待つうちに、
年は流れ、わしは老いさらばえた。
  

水を待って幾とせ。そしてまた、新たに訪れた若者がいる。老人はその者に忠告を与える。

 うたた寝からはっと目覚める、
と、もうそのときはただ石が濡れとるだけじゃった。(高橋康也訳)
  

合衆国からやってきた若き詩人、パウンドから極東の特異な劇を教えられ、イエイツはイマジネーションを駆使して戯曲を書きあげた。その舞台での初演からことし、2016年は一世紀。
もの言わぬ女・「鷹の女」と、若者と老人。気づいたときには消えている水。このミニマムな設定のなかに、21世紀の、いや、いつの時代も人が生きることの問題が凝縮されていないか。そんなふうに読めないか。
舞台そのものに接することのなく、能のことばのしつらえに、セリフと謡のコントラストとからみあいに促された劇であるゆえ、イエイツの『鷹の井戸』は、能舞台にのせられることが多い。多かった。
でも、ほんとうにそうか? そうなのか? それはそれ、ではないのか? 
イエイツのまわりにあった空間や身ぶり、音・音楽が生かされるのも、オルタナティヴな可能性なのではないか?

100年目の『鷹の井戸』は「ケルティック 能」と呼ばれる。
イエイツのことばがここで生きるか死ぬか、未来へとつなげられるか否か。
立ち会ってみたい。あらたなかたちに、ふれてみられれば。

小沼純一(音楽・文芸批評家)



今回は、日本の伝統芸能に興味を持っているという、アイルランドのシンガーであるマイケル・マクグリン率いるケルティックコーラスグループ「アヌーナ」、観世流シテ方人間国宝の梅若玄祥さん、そして私共、草月流いけばなのコラボレーションで、このステージが実現する事になり、能×ケルティックコーラス×いけばなという大変ユニークな組み合わせである反面、アイルランド人原作の『鷹姫』のステージを表現するのはとても自然な成り行きのように思えてなりません。
ここで日本とアイルランドを結びつける、独特の世界を描写し、一時の間、観客の皆さんが幻想の世界に送りこまれる事は間違いないと思います。

勅使河原季里(いけばな草月 アート・プロジェクト・ディレクター)



『鷹姫』によせて―アイルランドの井戸の信仰―

 アイルランドでは、井戸(泉)に対する信仰は根強く、数千年前の異教の時代から現代まで、綿々と続いていて、「聖なる井戸・ホーリーウェル」が各地に点在し、命の水や治癒の水など、井戸に纏わる不思議な話が今なお語り継がれています。長年アイルランドの民衆の文学に親しんできたアイルランドのノーベル文学賞詩人W.B.イエイツは、伝承文学の深い精神性や神秘性をなんとか作品の中で表現したいと模索していました。そんな時出会ったのが、フェノロサがヨーロッパに紹介した日本の能でした。イエイツは面をつけた役者の口から出る簡潔で研ぎ澄まされた言葉やバックの楽師たちが奏でる不思議な幽玄の世界に、長い間探し求めていた表現形式を見出し、能形式の戯曲『鷹の井戸』を書き上げ、1917年に出版しました。井戸の傍らで命の水が湧き出るのを50年間待ち続ける老人、海のかなたから井戸を求めてやってきた若武者クーフリン、井戸を守る鷹女、この三人にコーラスを加えて演じられる神秘な世界。初演では当時ロンドン在住の舞踊家伊藤道朗が鷹女を演じ喝采を浴びました。その後『鷹の井戸』は日本でも上映され、1967年には『鷹姫』と名を変えますが、原作の筋は変わりません。

2017年2月16日(木)Bunkamura オーチャードホールで上演される『鷹姫』では、人間国宝梅若玄祥氏が鷹姫の舞を華麗に舞い、アイルランドの伝統の音楽を美しく歌うグループ、アヌーナが加わります。日本とアイルランド国交60周年、さらに『鷹の井戸』出版100周年を祝うこの日、両国の絆はさらに深まることになるでしょう。

渡辺洋子(アイルランド伝承文学研究家)



“How can we know the dancer from the dance?”
(舞踏と舞い手をどのように区別できようか?) 

イェイツは、西洋近代社会から失われた演劇空間―超自然界と現実世界とが出会う空間―を日本の夢幻能に発見し、それは “Celtic twilight”「ケルトの薄明」と彼がかつて呼び、舞踏と舞い手、詩歌と音楽が混然一体となりうる理想の演劇空間であった。
そして今、このケルテッィク能『鷹姫』が、超一流の演者たちによって上演されるのは、大きな驚きと喜びである。長年育んできた日本とアイルランドの芸術との融合の結晶として、「鷹姫」が私たちの前にその姿を現わす日が待ち遠しい。

海老澤邦江(イェイツ研究家、江戸川大学教授)



日本とアイルランドの外交関係樹立から60年という節目の年に、このような野心的な企画が実現され、喜ばしい限りです。そういえばイェイツは、60歳の詩人自身とおぼしき語り手を登場させた詩 ‘Among School Children’(「小学生たちのなかで」)をこんな風に結びました。

  O body swayed to music, O brightening glance,
  How can we know the dancer from the dance?
 (音楽にゆれる体 輝くまなざし
  ダンスとダンサーを どうして分けられよう)

舞と舞手はおろか、過去と現在、日本とアイルランドとを分かちがたく結びつけた本公演を楽しみにしています。

佐藤泰人(日本アイルランド協会事務局長・東洋大学文学部准教授)



「鷹姫」公演に寄せて

人間国宝 梅若玄祥氏が舞う大舞台で、史上初めて、幽玄なる「日本の能」とコーラス・グループ「アヌーナ」がコラボする新しい演出の「鷹姫」公演を心待ちにする日々です。
本公演は、日本・愛蘭土外交関係樹立60周年記念イベントとしてだけでなく、これからも続く両国の永い文化交流の中でも歴史的イベントになるでしょう。
この夢のような企画の本公演を、是非、多くの方々に鑑賞して頂きたいと思います。
本公演を企画して下さった主催者そして製作者に心からの敬意と感謝の意を表します。

宇田川晴義(東洋大学名誉教授)