応援コメント(2025年)
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応援コメント
青澤隆明(音楽評論)
市川誠(CDジャーナル編集部)
海野幹雄(チェリスト)
佐瀬亨(弦楽器マガジン「サラサーテ」発行人)
林田直樹(音楽評論家)
古澤巖(ヴァイオリニスト)
松山晋也(音楽評論家)
水谷川優子(チェリスト)
矢澤孝樹(音楽評論)
渡辺亨(音楽評論家)
(名前順・敬称略)
ジョヴァンニ・ソッリマがバッハの無伴奏組曲を弾く。トラディショナルや自作はもちろん、エンジェルやラスト・エンペラーもいっしょに。歌が時代を超えて人間をわたるように、ソッリマはチェロで創造の根を揺り起こす。ソッリマが歌い歩くところ、時空を翔け、海をまたいで、この地上はひと繋がりだ。身も心も焦がしつつ、シチリア男が焚きつける。魂の弦を掻き鳴らせ!
青澤隆明(音楽評論)
無伴奏チェロはジョヴァンニ・ソッリマがいちばんよくわかる、言ってみればソッリマ度100%の公演です。バッハ、自作曲、ジミヘン、伝承歌……、時代もジャンルも広すぎるプログラムだって、彼がチェロで奏でれば、終演時には星座のごとくひとつの姿が聴衆一人ひとりの胸に浮かび上がる。手品師? いいえ、ジョヴァンニ・ソッリマは魔法使いです。
市川誠(CDジャーナル編集部)
あの衝撃再び!! 前回のソッリマ氏の来日は、日本の音楽界に大きな衝撃を与えました。脱力の境地ともいえる演奏法、そこから生み出される無限のエネルギー。その類稀な演奏スタイルと奥深い表現力は会場にいた全ての人の心を鷲掴みにし、異次元の世界へと誘いました。ジャンルや人種の垣根を超え、世界は1つだと言わんばかりの圧倒的な演奏は、今年も興奮の渦を巻き起こす事でしょう。 再び彼の演奏を生で聴けるのが楽しみでなりません。 彼こそ音楽の化身だ!!
海野幹雄(チェリスト)
「何が起こるか?」
またまた彼がやってくる。イタリアで生ジョヴァンニ・ソッリマに遭遇して以来、私が触れたそのステージでは、何かが起こる。日本のオーケストラとの衝撃(指揮者も楽団も度肝を抜かれた初来日、アクシデントさえもエンタメに昇華させたマジックの再来日)、無伴奏では、奏で歌う――さて、今回は? ガチ王道のJ・S・バッハからジミ・ヘンドリックス、坂本龍一、自作自演と伝承曲。どれをとっても、ソッリマの〝どかん〟とした存在感が待ちきれない!
佐瀬亨(弦楽器マガジン「サラサーテ」発行人)
ソッリマの魅力
ソッリマの手にかかると、チェロという楽器は、想像を絶する多彩な音が飛び出してくる、無限の可能性を秘めた、魔法の箱になる。
初めて聴いたときの衝撃は忘れられない。それはさながら、秩序ある人間の集団の中に紛れ込んだ、一匹の美しい野獣のようだった。こんなにも自由で、危険で、あらゆる境界を打破するような――クラシックとロックとジャズと民族音楽が自然に結びついている――規格外の音楽家が他にいただろうか?
その挑戦には限りがない。とりわけ印象的だったのは、本物の氷でできた“アイス・チェロ”によるコンサート・ツアーの最後を、海に楽器を流して溶かすことで終えるという美しいドキュメンタリー映像だった。ソッリマにとってチェロとは、人間と世界全体について考えるための壮大な冒険とロマンのための手段でもあるのだ。
最近のソッリマは、イタリアの大指揮者リッカルド・ムーティとの共演(しかも自作の合唱曲「スターバト・マーテル」)、フランク・ザッパの楽曲を中心にしたコンサート、古楽オーケストラのイル・ポモ・ドーロと共に中近東の要素を取り入れてヴィヴァルディをミックスしたアルバムの録音など、ますますエネルギッシュな展開を続けている。
これまでのソッリマの活動は、どんなにジャンル横断的であろうとも、常にその自由の基盤はバロック音楽と、南イタリアを中心とする地中海の伝統音楽への深い洞察にもとづくものであった。今回のソロ・コンサートでは、バッハの無伴奏チェロ組曲と同時代のバロック作品、そして自らのオリジナル曲を組み合わせたプログラムが予定されているが、いま脂の乗りきっているソッリマの真髄を体験できる内容と言えるだろう。ぜひとも、あらゆる音楽ファンに足を運んでいただければと思う。
林田直樹(音楽評論家)
ソッリマさんの素晴らしい所は作曲そしてそれを演奏するオリジナル作品を持っているバロックの演奏家並みのもしくはモーツァルトもしくはパガニーニ並みの誰も叶わない境地に達し未だ先に進んでいる宇宙的な感性と肉体だと思います。
古澤巖(ヴァイオリニスト)
バッハやボッケリーニからイタリアの伝統音楽、そしてジミ・ヘンドリクスや坂本龍一まで。ジョヴァンニ・ソッリマはいつだってボーダーを軽やかに越えてゆく。いや、そもそもボーダーというものが最初から存在しない。彼の中ではあらゆるメロディやリズムが「我々の星の音楽」として同居、一体化し、地中海型ヒューマニズムに貫かれたソウル・ミュージックとして放たれるのである。
松山晋也(音楽評論家)
G.ソッリマ〜時空を超えるチェロ
天才・鬼才・異才、イタリアは古今を問わず【尋常ならざる才の者】を輩出する国だ。
絵画に建築、文学や映画そして音楽…彼らは過去と現在と未来という縦糸、ジャンルや国境を超える横糸を結ぶ運命にある。
ソッリマもまたその深い知性と本能の絶妙なバランスで時代を変える一人、彼のチェロは常識や偏見を覆して不可能を可能にするのだ。
時空を超えるチェロがやってくる “Don't miss out!!”
水谷川優子(チェリスト)
一本のチェロで奏でる「世界音楽」
~ジョヴァンニ・ソッリマの来日公演に寄せて
ジョヴァンニ・ソッリマがまた日本にやってくる。
あえて「来日公演」と書かないのは、それが単に「世界的なチェリストが日本で演奏会を行う」という意味にとどまらないできごとだからだ。
そもそも、ソッリマは「チェリスト」というカテゴリーに収まらない音楽家だ。その強靭な剛性を備えた音色、しなやかな弾性のグルーヴ、人声のように歌い語るフレージングは、彼が個性的かつ超絶的なチェリストであることを証明しているが、しかしそれはあくまで彼の音楽性のひとつの顕れである。そのレパートリーはクラシックのみならず古楽、民俗音楽、ロックやポップスまで広汎な音楽領域に及ぶ。そしてさまざまな音楽要素が彼の中で鋳溶かされ、独自の声を備えた作品に結実する―そう、彼は作曲家でもある。さらには、「100チェロ」のような壮大な企画を立ち上げ実現するプロデューサーであり、行動する音楽家である。
そんなソッリマがやってくるのだ。名曲の名演を披露してハイ終わり、には到底ならない。鈴木優人指揮読売日本交響楽団との共演(3/20、22、23)では自作《多様なる大地》《チェロよ、歌え!》を演奏する。「100チェロ」のコンサート(3/30)がある。彼のドキュメンタリー映画『氷のチェロ物語』の上映会(3/24)後のトークでは古澤巖とともに登壇する。さらにソロでミニライヴもあるとのこと。いやはや、八面六臂だ。
しかし、音楽家ソッリマの最もコアな部分を体験しようというなら、やはり3/25、26に行われる無伴奏チェロ・コンサート「Giovanni Sollima plays BACH!」ということになるだろう。タイトルにあるように、もちろん核となるのはバッハの《無伴奏チェロ組曲》で、全6曲の内1、3、4、5番が2日間に分けて演奏される。だが、そこに組み合わされる曲目が驚天動地だ。ダッラーバコ(←バッハと同時代のイタリア作曲家)、ボッケリーニ、シベリウス、ソッリマの自作、シチリアの伝承曲、ジミ・ヘンドリックス、坂本龍一…。何と広大にして融通無碍。しかしソッリマの近作4枚のアルバム『ナチュラル・ソングブック』『無伴奏チェロ組曲』『フォーク&バ・ロック・チェロ』『アル・ブンドゥキーヤ~ザ・ロスト・コンチェルト』の一枚でも耳にした方なら納得されるだろう。
これらのアルバムでは多種多様な音楽がテーマに応じて召喚され、ソッリマ自身のチェロの「声」を通じ、ユニヴァーサルで多様性に富んだいわば「世界音楽」に変換されているのだ。もちろん、バッハさえも。
そんなアルバムの世界が、ライヴで再編され、新たな生命を吹き込まれる。この機会を逃さない手はない。ましてや、こんなに世界が分断されている今なのだから。
矢澤孝樹(音楽評論)
ジミ・ヘンドリックスの「エンジェル」のようなロックを演奏するジョヴァンニ・ソッリマは、過去の来日公演で堪能した。だから今回は、あえてJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」にもっとも期待する。きっと「バッハの音楽」でありつつ、「ソッリマの音楽」としか呼びようのない演奏で酔わせてくれるに違いない。
渡辺亨(音楽評論家)