プランクトンは30年ほど前に《東京ムラムラ》という豪華闇鍋のような音楽フェスを企画・開催して有名になったが、スタッフの間で継承されてきたあのスピリットと闘志はコロナ禍の今もまったく潰えていない。そのことを確認できたことも個人的には嬉しかった。そう、《Beyond》は《ムラムラ》の21世紀版になる可能性を秘めているし、そうなってほしいとも思う。
以下、全9組のパフォーマンスについて、簡単に触れておこう。
続いて登場したのはヴェテラン・ピアニスト渋谷毅とフランス在住のサックス/クラリネット奏者・仲野麻紀のデュオ。オープニング曲にデューク・エリントン楽団の名演で知られる「イスファハーン」をもってきたことにまずは唸る。生涯を通じて“向う側”を夢想し続けたエリントンのこの名曲(66年の『Far East Suite(極東組曲)』に収録)は映画とは関係ないけど、コンセプトとしては今回の《Beyond》フェスにびったりだ。サックスだけでなく歌うことも好きな仲野は、続けてジャック・ドゥミーのミュージカル映画『ロシュフォールの恋人たち』から「デルフィーヌの歌」、トルコ民謡を元にしたエキゾティックなスタンダード曲「ウスクダラ」などで陰影深い歌声を披露。負けじと「アマドコロ摘んだ春」なる隠れ名曲を弾き語る渋谷の訥々としたたたずまい(途中にはデカいクシャミ)にもほっこりさせられる。自身もサントラ制作に参加した映画『危機的時代の恋愛作法』の主題歌「モナムール」での仲野のメランコリックな歌&サックスも素晴らしかった。
3番目に登場したヴァイオリニスト喜多直毅&ピアニスト黒田京子のデュオは、昨今のウクライナ情勢に絡めて映画『ひまわり』の甘美なテーマ曲(ヘンリー・マンシーニ作)でスタートした後、マレーネ・ディートリヒ以下多くのカヴァで知られ、映画にもなった第二次大戦下の流行歌「リリー・マルレーン」、宮沢賢治の小説を元にした喜多の映像的オリジナル曲「よだかの星」(二人のデュオ・アルバム『残された空』に収録)などを演奏したが、最もこのデュオらしかったのはジャン=フィリップ・ラモーの「タンブーラン」だったと思う。フランスの伝承舞曲を元にしたバロック期の作品だが、激しいインタープレイとノイズ成分の多い音色で終始攻めまくるアヴァンギャルド仕様。曲間に入る喜多のコミカルなMCも演奏の前衛性といい湯かげんのコントラストを成し、場を和ませていた。
そしてトリは、ジャズやポップスから歌謡曲まで幅広いレパートリーを誇るシンガー畠山美由紀とショーロクラブの名ギタリスト笹子重治のデュオ。畠山のヴォーカルの魅力を堪能するのに笹子のガット・ギターは最適と言っていい。演目は予想通り、2人の共通項であるブラジル音楽が多めで、『黒いオルフェ』のテーマ曲「カーニヴァルの朝」の他、エリゼッチ・カルドーゾ「カルタ・ヂ・ポエタ」、エリス・レジーナ「カイ・デントロ」と2曲のバーデン・パウエル作品も。早口コンテスト並みのスピードで歌うポルトガル語も実に達者だ。「トニー・ベネット&k.d.ラングのヴァージョンが好きすぎる」(畠山)という情感たっぷりな「ブルー・ヴェルヴェット」も素晴らしかったが、個人的に最も響いたのは、東日本大震災で亡くなった人々に対する畠山(気仙沼出身)の万感の思いが詰まったオリジナル曲「歌で逢いましょう」だ。そして、仲野麻紀も参加したアンコール「女港町」(八代亜紀)ではその気仙沼魂が更に激しく炸裂したのだった。
最初に登場したのはジンタらムータ。クラリネット奏者の大熊ワタルとシンガー/チンドン太鼓のこぐれみわぞうを中心にクレズマー×バルカン・ジプシー×チンドン屋とでも言うべき知的無国籍混血路上音楽を繰り広げる集団だ。編成はチューバ、ドラムス、ヴァイオリン、アコーディオンを加えた6人組。みわぞうの琴独奏という意表を突くオープニングも彼ららしい。ジンタらムータはここ数年、みわぞうのヴォーカルを前面に押し出してきたが、とりわけイディッシュ語(東欧ユダヤ人の言語)によるクレズマー(アシュケナジム=東欧ユダヤ人の民俗音楽)は彼女の十八番で、この日もプログラムの軸になっていた。同じく彼らの定番レパートリーであるベルトルト・ブレヒト&クルト・ヴァイル『三文オペラ』の劇中歌「海賊ジェニー」は日本語で歌われ、みわぞうのパフォーマンスもより演劇的だ。バルカン・ジプシー調の曲ではヴァイオリンやアコーディオンのニュアンスの見事さに舌を巻き、間奏部でのチンドン・アンサンブルにもシビレた。
そんな大熊たちのジプシー性に「小学生の頃から憧れていた」というボタン・アコーディオン奏者・小春とシンガーもも姉妹によるチャラン・ポ・ランタンが、カンカンバルカン楽団(今回はサックス、クラリネット、ウッドベイス、ドラムス)を従えたバンド編成で2番目に登場。私はチャラン・ポ・ランタン(デュオ)のCDは聴いていたが、バンド編成は聴くのも観るのも初めて。もー、仰天&感動した。小春のアコーディオンの驚くべき演奏技術、ももの卓抜した歌唱力もさることながら、バンド全員で会場を熱狂の渦に巻き込んでゆく大道芸的猥雑さと突進力に圧倒されたのだ。ガラッパチだけど、なんともキュート。衣装などヴィジュアル面も含めたスペクタクルとしての完成度の高さと度胸は、10代から路上で鍛えてきた賜物か。とにかく、これだけ見せる=魅せることに長けたバンドは稀だろう。ジプシー・スピリットほとばしる、恐るべきライオット・ガールズである。
そしてこの日のトリは、シンガーの白崎映美、チェリストの坂本弘道、キーボード奏者のロケット・マツから成るトリオ。白崎は、汎アジア的大衆音楽集団・上々颱風(シャンシャンタイフーン)の看板シンガーの一人として80年代から活躍する傍ら、近年は、東日本大震災をきっかけに生まれた「白崎映美&東北6県ろ~るショー!!」や、出身地酒田市にある東北最後のグランドキャバレー「白ばら」を盛り上げるための「白崎映美&白ばらボーイズ」などを率いてきた。派手(=端正)な顔立ちと派手(=往々にして奇抜)な衣装で豪快に歌い飛ばす土俗的ファンキーさこそが彼女の持ち味だが、しかし今回は一転趣向を変え、ぐっとエレガントに迫る。テーマにある「ヨーロッパ」を意識してのことだろうか。白崎自身も「こんなしっとりとしたステージ、私の人生にはなかなかない」と笑いだす始末だが、アヴァン・ポップの世界で名を成してきた坂本とロケット・マツならではの小技が練り込まれたハイブラウ&ドラマティックな演奏をバックにスロウ・テンポのバラードをシャンソン歌手のように朗々と歌い上げる白崎の姿はえらく新鮮で面白い。ルーマニアを夢想して作ったという「マラムレシュの夢」など、一種の前衛オペラと言っていいかもしれない。ジンタらムータとチャラン・ポ・ランタンが加わったアンコール曲「大漁唄い込み」では誰よりも野太い声で“エンヤートット”と叫んではいたが。
そして《Beyond》フェス全3回の大トリ、清水靖晃&國本怜。鳥の鳴き声などのSEや挨拶などに続いて静かに演奏が始まった瞬間、思わず「おおっ!」と小声を出してしまった。そう、この音。清水にしか鳴らせない音だ。どんな弱音であっても、空気を震わす振動の密度と速度が違う。イマジネイションを激しくかきたてる、清水だけの太く、豊潤な音だ。
70年代末にジャズ・サックス奏者としてデビューした清水は、80年代にはプログレッシヴ・ジャズ・ロック・バンド、マライアの中核として、またソロ・プレイヤー/作曲家として最前線で活躍した。フランスやイギリスを拠点にワールド・ミュージック・シーンとも積極的に交わり、90年代以降はサックス・ソロによるバッハ作品集を作ったり、エチオピア音楽などペンタトニック(5音階)・モードを探究するなど、その活動は常に「Beyond」的だった。早くからコンピューターやサンプラー等の電子機器も活用していた彼のボーダーレスな作品/パフォーマンスの先進性と創造力は、近年、欧米諸国の若いリスナーたちからも高く評価され、ソロ・アルバム『案山子』やマライア『うたかたの日々』といった80年代作品の海外での再発も続いている。2018年にはコンピューター/キーボードを操る國本怜とのデュオで2度の欧州ツアーを大成功させたが、そのプロジェクトの本邦初公開の場となったのが、今回のライヴである。
この日もそういった昔の楽曲がいくつも演奏されたが、國本怜とのコラボレイション・ワークは即興性が強く、原曲のモティーフにはその場で細かな変調が加えられてゆくため、新曲を聴いている感もある。エチオピアの曲に清水が日本語の歌詞を付けて歌っていた「テュ・セマン・ハゲレ」(2007年の清水靖晃&サキソフォネッツ『ペンタトニカ』に収録)では観客の手拍子と國本の無機質な電子音だけをバックに鼻歌独唱するわ、短波ラジオの電波をシークェンスとして使うわ…と約90分のパフォーマンスは驚きと感動と笑いの連続。実に濃密な時間だった。ステージ後方に設置された2台の「エリザベス」(2004年の「浜名湖花博」のサウンド・インスタレイションを清水が担当した際に制作された花形の多チャンネル・スピーカー)の威容は今もまぶたに焼き付いている。