アイルランド映画の新たな傑作が誕生!
アイルランド映画界の新星と謳われるクレア・ダンが企画・脚本・主演を務め、『マンマ・ミーア!』のフィリダ・ロイド監督、『女王陛下のお気に入り』の製作チームであるエレメント・ピクチャーズが集結。巨匠ケン・ローチ監督を彷彿とさせる力強い作品が生まれた。
「サンドラの小さな家」のアイリッシュ精神
「サンドラの小さな家(原題:herself)」は、現代のアイルランド・ダブリンが抱える社会問題/都市問題に鋭く切り込みながら、支え合う人々の温かな心の交流も描いた非常にアイリッシュ的な作品だ。苦難の歴史を天性の朗らかさと逞しさで生き抜いてきたアイルランドは、「逆境に挫けない不屈の精神」をアイデンティティーとして、そのアイリッシュネスに強い誇りを持ち続けてきた。これまで生み出されてきたアイルランド映画の傑作達…「アラン」「麦の穂をゆらす風」「マイケル・コリンズ」「アンジェラの灰」「ザ・コミットメンツ」などはいずれもそんなアイリッシュ精神を感じさせる作品だが、この「サンドラの小さな家」もまた逆境から立ち上がろうとする人々の姿を力強く描いている。
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“Herself”という原題が示す通り、この映画は住居を失ったシングルマザーが自分自身で家を建てるという物語。いわゆるDIY(=Do It Yourself)のherselfだが、一方で、家を建てることで自分自身の人生をもリビルドし、自分自身(herself)を取り戻すという意味合いも込められている。
アイルランドは1990年代にケルティック・タイガーと呼ばれる急速な経済成長期を迎え、首都ダブリンはヨーロッパの片田舎からメトロポリスへと急成長した。EUのみならず世界中からたくさんの労働者が流入し、多種多様な人種が集まるコスモポリタンな都市への変貌したが、同時に東京やロンドン、ニューヨークなどと同じく、都市の運命として様々な社会問題に直面することになる。その中でも、住居問題は非常に日常的な問題で、家賃の高騰、アンフェアな契約、不条理な退去勧告などの話はよく耳にするところ。本作もまた、クレア・ダンが親友から受けた「家を追い出された」という相談が執筆のきっかけになったという。加えてDVやパワハラ、弱者に傾かない社会構造などの逆境の中、「自ら家を建てる」ことで自分自身の人生を取り戻し、子供達を守ろうとする主人公の姿は現代の生きづらさの中でもがく人々の共感を呼び、観る者の胸を強く打つ。現代人誰もが共感できるテーマとメッセージ性をもつ一方、その姿勢の向こう側には、19世紀末に飢饉を逃れ、移民していった先で新たな居場所を作っていったアイリッシュ移民や、イングランドの搾取に立ち向かい独立を成し遂げた英雄達の魂までもが見えるような気がする。
→逆境にまみれてきたアイルランド・ケルト民族の歴史
もうひとつ、この作品を通じて強く感じられるアイリッシュネスは、「支え合うコミュニティの力」。もともと古代アイルランドは他のヨーロッパ文明と異なり、組織的な王国や帝国を作らず、部族単位のコミュニティで活動をしていた。経済(金銭のやり取り)ではなく、それぞれの個性や技能を活かした役割を果たすことで、人々がそれぞれの生活を支え合い、助け合って生きていくという思想があった。この映画でも、herselfというタイトルでありながら、たった一人の人間の力ではなく、たくさんの人々の協力と理解、手助けによって家の建築が進んでいく。その過程で、映画の冒頭ではあまり人と積極的に深く関わっていなかった主人公が、自分の感情を周囲の人にぶつけていくようになる。ここでは、herselfという言葉は「自分自身で」という意味に加え、「自分らしくなる」という意味合いをも帯びてくるように思われる。
作中の後半に登場する「メハル」というアイルランドの言葉がある。これは、人々がそれぞれ自分の役割を自分らしく果たすことで生まれる支え合いのコミュニティを表す言葉で、かつては日本の農村などでも共有していた思想だった。こうしたそれぞれの個性や役割を尊重し、コミュニティを形成するという思想基盤があったからこそ、アイルランドは「人に優しい、親切な国民性」と言われ、今ヨーロッパでももっともリベラルな国として注目されているのだと思う。2015年には、アイルランドはカトリックの国で初めて国民投票でLGBTの結婚が認められた国となったが、アイルランドの思想基盤を象徴する出来事だったように思う。今作においても、現代の社会問題と向き合い、乗り越えるにあたって、古代のケルトの「メハル」の思想がそのヒントになりうるのではないか、という示唆はまさにアイルランドの作品ならではだと感じた。
→アイルランド・ケルトの思想
最後に、ケルト的な視点からこの映画を楽しむポイントとして、「聖ブリギッド」の逸話を事前に調べておくとさらに作品を楽しめると思う。ブリギッドは、「ゲール(ケルト)のマリア様」とも呼ばれる聖女で、5世紀ごろにキルデアはじめアイルランド各地に修道院を建設し、人々のためのコミュニティを築いたとされている人物。ケルト神話に登場する豊穣と炎をつかさどる女神の名前でもある。作中でも聖ブリギッドの伝説が主人公に強い影響を与えており、娘達がブリギッドのシンボルである「ブリギッド・クロス」を作るシーンも見られる。主人公は、現代を強く生きようとする女性として描かれるが、彼女の行動の中に「家(修道院)を建築する」「女性の権利を勝ち取る」「厄(火)を除ける」というブリギッドに由来する象徴的な暗喩がふんだんに散りばめられていることに注目してみるのも楽しいかもしれない。
現代社会を生きる人々を力強く励ましてくれると同時に、脈々と受け継がれてきたアイリッシュネスもしっかりと込められたこの映画は、4/2(金)から日本公開予定。
アイルランド映画史に新たに刻まれるであろう感動作、お見逃しなく!
『サンドラの小さな家』
2021年4月2日(金)、新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町ほかにて全国公開
公式サイト https://longride.jp/herself/
監督:フィリダ・ロイド『マンマ・ミーア!』、『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』
共同脚本:クレア・ダン、マルコム・キャンベル『リチャードの秘密』
出演:クレア・ダン
ハリエット・ウォルター『つぐない』
コンリース・ヒル「ゲーム・オブ・スローンズ」
2020年/アイルランド・イギリス/英語/97min/スコープ/カラー/5.1ch/原題:herself/日本語字幕:髙内朝子
提供:ニューセレクト、アスミック・エース、ロングライド
配給:ロングライド
©Element Pictures, Herself Film Productions, Fís Eireann/Screen Ireland, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute 2020