■寄稿
・ ジョヴァンニ・ソッリマの現地コンサート・レポート(安田真子)
・ 演奏者も聴衆も“音楽”という渦の中へ
それが「100チェロ」のマジックだ。
(オヤマダアツシ/音楽ライター)
ジョヴァンニ・ソッリマの現地コンサート・レポート
来日直前ジョヴァンニ・ソッリマの現地コンサート・レポートが到着!
去る6月16日、ミラノのヴェルディ劇場にジョヴァンニ・ソッリマが登場した。共演はミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団、ハンヌ・リントゥ(指揮)。ソッリマは演奏会前半のドヴォルザークのチェロ協奏曲で独奏をつとめた。
6月13,14,16日に同じプログラムの公演が3回行われたにもかかわらず、日曜の午後の最終公演に足を運ぶと計1253席あるホールの客席はかなり埋まっていた。
盛大な拍手で迎えられたソッリマは、音楽の流れにふわっと乗るかのようにソロを弾き始めた。ドヴォルザークのこの作品はチェリストにとっては聴き慣れた協奏曲だが、ソッリマの手にかかるとどの部分をとってもフレーズの自由さ、自然な語り口が心地よく、美しいフレーズの数々に改めて気づかされた。ソッリマならではの音楽の有機的な勢いが活きていて、音色の優美さも際立っていた。
このコンサートでは一つ大きな事故があった。演奏中、ソッリマの弓がファーストヴァイオリンの最前列の譜面台に当たり、弓がヘッドの部分から折れてしまったのだ。トゥッティのチェリストたちは慣習通りすばやく弓を前列の奏者へ回し、チェロの首席奏者から手渡された弓でソッリマは演奏を続けた。悲痛な表情は見ているこちらの胸が痛むほどだったが、曲を最後まで弾ききった演奏者たちには観客からは盛大な拍手が送られた。
ドヴォルザークの演奏後、舞台袖に一度引っ込んでから自身のバロック弓を手に舞台へ戻ってきたソッリマは、アンコールとして合計3曲を演奏した。無伴奏を2曲弾いた後に演奏したソッリマ自身の作品では、オーケストラに単音の伸ばしを演奏してもらい、その上で自在に遊ぶように即興のソロを繰り広げた。
ソッリマが同じ舞台に立つ他の音楽家に与える影響はけして小さくない。共演者家の音楽をも解放してしまう力を持っているからだ。今回の共演者たちも、このアンコールの3曲目で体をほぐして大きく伸びをするかのように自身の即興性を目覚めさせ、自由な音を奏で始めた。そのカリスマ的な影響力はさすがの一言で、観ていて感動的であった。しかもその劇的な変化は力みなく、誘い出すようにとても自然に行われる。魅力たっぷりに歌い、踊るチェロ。気がつけば、聴衆だけではなく共演者もすっかりソッリマに心を奪われてしまうう魔法のような体験だ。終演後、オーケストラ奏者の一人と話をすると、ソッリマは公演ごとに異なるアンコール曲を披露したと聞かされた。無限といえるほど豊かなソッリマの音楽世界の広がりにはいつも驚かされる。幾度かのカーテンコールの後、いつものように熱狂的な拍手に見送られて舞台袖に入っていったソッリマの姿を思い返す。8月6日に川崎でこの感動が再び味わえるかと思うと待ちきれない。
安田真子
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演奏者も聴衆も“音楽”という渦の中へ
それが「100チェロ」のマジックだ。
参加者も聴衆もホールの空間も一体に!
衝撃的な体験を約束する「100チェロ」
コンサートホールのステージを100人のチェリストと彼らのパートナーであるチェロが埋め尽くし、約1,800席という広いホールの空間が、彼らが奏でる音楽に呼応して共鳴(箱鳴り)するような瞬間。「同じ楽器が100」というだけでも視覚的にショッキングなのだが、音の凄さ、そしてホールの空間を渦巻くようなエネルギーときたらもう……。「100チェロ」というコンサートは、ひょとしたら「音楽を聴く」というコンサートとしての時間を楽しむのではなく、演奏者や聴衆という垣根を越えて、みんなが大きくふんわりとした響きのソファーに身を委ねるという体験型のイヴェントなのかもしれない。その輪の中心にいるのが「100チェロ」のカリスマ、ジョヴァンニ・ソッリマであることは言うまでもないだろう。
さて、この「100チェロ」に参加し、チェロを奏でたという幸せな経験をした日本人がいる。ヨーロッパ在住のアマチュア・チェリスト、安田真子さんだ。高校生の部活動でチェロを手にしたという安田さんは、卒業後も個人レッスンを受けつつ、アマチュア・オーケストラなどで演奏し続け、日本では『1000人のチェロ・コンサート』などのイヴェントにも参加。「チェロは人生の相棒」だという彼女が「100チェロ」と出会ったのは2013年、ローマでのことだった。そのときは参加者ではなく聴衆としてだったが、公開練習を観に行った会場で驚くべき体験をしたという。
「ボランティアのスタッフから『あなたチェロが弾けるの? だったら参加すればいいのに。誰かから楽器を借りてきましょうか?』と言われ、こんなにオープンなイヴェントなのかとびっくりしてしまいました」
安田さんは結局、2018年になってイタリアのコモ、そしてパレルモで開催された「100チェロ」に初参加(2019年も東京公演直前のマチェラータ公演に参加予定だという)。体験したことがなかったというさまざまな感動を味わったようだ。
「最初のリハーサルで演奏したのはバッハの曲でしたが、一人ひとりの演奏法やボウイング(弓の動き)などがバラバラなのに、みんなの心がひとつになったような感覚でした。リハーサルを続けていくとアドリブを求められたり、音楽に合わせて歌ったり叫んだりすることを求められたり、そうかと思えばチェロを打楽器のように叩いたり、次々に新鮮なことが起こります。ソッリマ自身も、演奏しながら叫んだり唸ったりします。そのたびに強い衝撃が身体を突き抜け、音楽として昇華されているように感じますし、その姿を視界に入れながら同じチェロという楽器を演奏していると、次第に自分の中で何かが目覚めるような感じも覚えるのです。数メートル離れて座っているソッリマの即興的な演奏が聞こえてくると自分のチェロが共鳴するようですし、参加者が自由に即興できるところでは合図があると、みんなが『われ先に!』とばかりに個性を発揮する姿を見て、こちらも刺激を受けるのです」
バッハもパープルもニルヴァーナも!
「100チェロ」はジャンルを超越するメディアだ。
ステージ上の演奏者がその場でどんどん覚醒する様子は、まさにライヴ感覚あふれる光景だろう。その場の即興で変化していく音楽も、その時にしか味わえない一期一会の体験だ。そのエネルギーを受け取った聴衆が、音楽と一緒に歌い出したり踊り出したりすることもあったという。
「『100チェロ』に参加してから、私自身の音楽観や取り組み方は大きく変化しましたし、無意識に音楽のジャンルに縛られることもなくなりました。固定観念や思い込みが一気に崩れて解放感に近いものを感じますし、自由に音楽を奏でたいという渇望や上達したいという欲求も生まれてきました」
このように1人の参加者が音楽観をくつがえされるような体験をする「100チェロ」コンサート。それは客席にいる聴衆も同じだろう。便宜上はステージと客席に分かれているものの、その音楽は同じ空間の中に満ちていくのだ。
演奏されるセットリストが事前にすべて公表されることはないかもしれないが、「100チェロ」のレパートリーはクラシック、ロック、ワールドミュージック、さらにはソッリマの自作曲などジャンルはさまざま。これまでどういう曲が演奏されてきたかというと……バッハやジェミニアーニなどバロック音楽や、ドヴォルザークの「新世界より」ほかクラシックの名曲。ディープ・パープルの「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やレナード・コーエンの「ハレルヤ」、ピンク・フロイドやニルヴァーナといったバンドのナンバー。イタリアや東欧などに伝わる民俗舞曲ほかワールド・ミュージックのあれこれ。そしてソッリマ自身のペンによる「チェロよ歌え!」「アローン」。
しかしどの曲が演奏されるのかということは問題ではないだろう。すべては「100チェロの音楽」として聴衆にプレゼンテーションされるのだから。コンサートの最中に「あ、知っている曲だ!」という驚きや発見の喜びを味わうのも、また楽しい経験だ。
ところで「100チェロ」に参加した安田真子さんからは、こんな体験談も教えていただいた。
「それぞれの開催地では本番のコンサートだけではなく『100チェロの占領』と題して、参加者が街の中に繰り出し、フラッシュモブをするのです。楽譜も椅子もなく、ときには歩きながら演奏したり歌ったり。街を歩く人たちを巻き込んで大きな人だかりができますし、結婚式に遭遇して祝福の演奏をしたこともありました」
ここにも「100チェロ自由主義」とでもいうべきオープン・マインドな精神が花開いている。「コンサートホールだけじゃないもんね」と、目の奥がキラーーンと光るソッリマの顔が思い浮かぶようだ。真夏の東京で実現するかどうかはわからないが、突然チェロを手にした人たちが何の前触れもなく演奏を始めたら、そこはもう「墨田いきなり音楽夏祭り」の様相を呈する盛り上がりが約束される。
最後になるが、ソッリマは遅くとも「100チェロ」本番(8月12日)の一週間前には来日し、6日には川崎のコンサートホール(ミューザ川崎)に登場。東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団と共演してクラシックの名曲、ドヴォルザークのチェロ協奏曲を演奏する。まずはそこでカリスマ・チェリストの姿を拝んでおくのもいい。
今年の夏は、ソッリマ旋風が人々の心に吹き荒れる。
オヤマダアツシ
(音楽ライター)
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