あのノラ・ジョーンズを輩出したNYのライヴ・ハウス「Living Room」から、また素敵な歌姫の登場だ。
サーシャ・ダブソン。過去にジャズ・シンガーとしてアルバムもリリースしているが、ノラの盟友ジェシー・ハリス、リチャード・ジュリアンらのバックアップを受け、みごとに変身を遂げた。今作「モダン・ロマンス」は、その意味で実質的なデビュー作といっていいだろう。凛とした歌声、艶やかなサウンド、そして恋の痛みをクールに扱った歌詞。彼女にしか表現できない「歌世界」が、すみずみまで行き渡った全13曲。
恋愛小説のページをめくるようなつもりで、じっくり「味読」していただきたい。
はじまったばかりの物語。(文=岡村詩野)
ジェシー・ハリスの「とてもサプライズなシンガーなんだ」という紹介のもと、渋谷クアトロのステージに登場したサーシャ・ダブソンは、正直なところ、 想像していたタイプのヴォーカリストとは少し違っていた。実際、ローライズのジーンズとピタッとしたTシャツ、鼻にピアスをして腕には刺青をいれた、 ロックンロールのワイルドな匂いさえ感じさせるサーシャは、いかにも繊細なニューヨーカー然としたインテリ風情のジェシーが惚れ込んだ歌い手にしては ちょっと意外かもしれない。そんな風に感じた人も少なくなかったのではないかと思う。
しかしながら、いざマイクを通して伝わってきた歌声は、ジェシーの弾くアコギの音色ととても相性の良い、凛々しさと大らかさを秘めたものだった。そし て、翌日実際に会って話してみたサーシャは、様々なバックボーンを背負いながらポップ・フィールドにたどり着いたユニークな才能の持ち主であり、笑顔が 愛らしく屈託のない女性でもあった。79年サンフランシスコに生まれたサーシャはミュージシャンの両親の元に生まれ、小さい頃から歌ってきた経験の持ち 主。けれど、素顔の彼女は、そんな血統の良さをまったく鼻にかけることはない。それどころか、今は歌うことが楽しくて仕方なく、多くの人に自分の歌を聴 いてもらうことが最高の幸せ、とでもいうようなハッピーなヴァイブを全身から放っていた。高度なテクニックでもない。アクの強さでもない。何よりその開 放的なオーラこそが、おそらくジェシーがバック・アップした彼女のファースト・アルバム『モダン・ロマンス』を輝かせているのだろう。彼女との会話の中 で感じたのはまさにその一点だった。
小さい頃からエラ・フィッツジェラルドを愛聴しジャズのマナーに沿った歌い方が自分のスタイルだと思い込んでいたサーシャは、だがしかし、ニューヨー クにやってきてジェシーやリチャード・ジュリアンらと交流を結ぶようになってから、何にもとらわれずにのびのびと歌えるようになったと言う。自分の歌は ジャズでもフォークでもソウルでもない。あえて言うならポップ・ミュージックと話す彼女は、様々な人種、様々な指向の人間を受け入れて日夜刺激を生むカ オスと知性の町、ニューヨークで、まるで初めて“歌”という恋に落ちた10代の少女のように無邪気だ。そういえば、最近は遊びで始めたカントリー・ユ ニットでも歌っているのだという。
筆者が取材でジェシーとサーシャを訪ねた時、ジェシーがちょうど日本のラジオ番組のジングルをレコーディングするところだった。私がサーシャに取材を している横で、その番組用の曲をアッという間に書きあげたジェシー。その後ほぼ即興でサーシャがハーモニーをつけ一緒にサッと録音してしまった。僅か 30秒にも満たない短いジングル曲。なのにサーシャは本当に楽しそうに自分の声を響かせていた。彼女と歌の恋の物語は、きっとまだ始まったばかりなのだろう。