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SEU JORGE
セウ・ジョルジ インタビュー

今やブラジルの次世代の代表として、世界中で注目を浴びるセウ・ジョ ルジ。
昨年末にはNYでデヴィッド・ボウイと共演して話題を呼び、今年は春からフランスをはじめ、イギリス、ベルギーなど、ヨーロッパ・ツアーを精力的にこなしている。
映画に、音楽に、カリスマ性を発揮し、サクセス・ストーリーを展開。
2005年6月、仏・サンドニのフェスティバルに出演した彼に直撃インタビュー!

コンサート情報・プロフィール ▼寄せられたコメント


セウ・ジョルジ インタビュー

Q:まず、以前のサンバのバンド、ファロファ・カリオカについて。

A:95年に結成して、自分は99年に脱退してしまったが、バンドは別の状態で継続しているよ、今でもとても良いグループだと思っている。自分の中に今も財産として残っているし、得たものが多い、いい経験だった。
アルバムにゲスト参加したプラネット・ヘンプのツアーで4年前に日本に行ったことがあるが、今回、もう一度日本文化と出会えるのは本当に楽しみだ。

Q:『クルー』のプロデュースはグリンゴ・ダ・プラダによるものですが、それはあなたの音楽性の変化を意味するのですか?

A:ひとつのスタイルに囚われたくないし、表現は自由でいたいと思っている。何故なら俺は演劇出身なんだ。最初に感銘をうけたのが演劇だった。表現のスタイルであり、舞台で多くのキャラクターを演じるのと同様に、音楽のスタイルにも同じコンセプトを用いたい。この『クルー』は、フランス人に向けた1つのアルバムだといえるだろう。彼らはブラジル文化をこよなく愛する。3年前にグリンゴ・ダ・プラダに会って、このアイデアに至った。この作品にはフランス的なエッセンス、フィーリングが込められている。フランス人は本当にブラジル音楽が好きだから。今回は出来るだけシンプルな演奏にする様に心掛けて、うまくやれた。 だからフランス人に気に入ってもらえたんだと思う。

Q:日本でもとても気に入られていますよ。

A:そうだね、日本人が好きなのは分かるよ、たとえばボサノヴァが人気だということから分かる様に。ブラジルとは違って、いつも誰もがホットな曲を求める、って事はないよね。フランス、日本、きっとアメリカも・・でも、俺はとにかくやってみようと。

Q:次作は別の人とコラボする予定?それともまたグリンゴ・ダ・プラダと?

A:さあねえ、先の事は神のみぞ知る、だよ。でも新しいプロジェクトのヴィジョンの一つに、ロックがある。パワフルなトリオのバンドで、ロックンロール、名前はブラックン・ロック。メンバーは3人、俺はベースと歌で、別の奴がギターを弾き、それと今のバンドのプレチーノがカバキーニョとドラムをやる。これは特別なプロジェクトだ、なぜなら俺はサンバの出身であり、それが自分の音楽であり文化なんだ。今までロックに妥協をしたことはない。しかし、ロックのルーツもまた同じくブラックであるってことだ。マイルス・デイヴィス、R&B、たとえばジミ・ヘンドリックスは世界中で愛されている。でも俺はジミヘンみたいなCDを作りたいんじゃない、俺の目的は楽しみのために演奏し、仲間と大きなバスで旅しながら特別なブラックン・ロックン・ロールを世界中を楽しんで演奏することだ。

Q:サンバの伝統音楽とコンテンポラリーなシャープな表現も持ち合わせていますよね。それは自然と生まれてくるもの?あえてやろうとしている?

A:自然に出てくるものだよ。例えて言うなら、(俺は)エルヴィス・プレスリー。エルヴィスは、歌手でも作曲家でも、音楽家でも、俳優でもなく、全ては表現そのものだった。デヴィッド・ボウイだって演じ、音楽をやるし、多くの人、たとえばフランク・シナトラだってダンサーであり、シンガーだった。思うんだが、世の中で、たった2人の人間だけが人のハートに触れる事が出来る。それは、医者とアーティストだ。警察官とかは無理だね。
例えば、俺はコンサートをするにはメイクアップは必要ないし、とにかく演奏と、大きなユーモアとがあればいい。ビッグ・ネームになるって意味じゃないけど、音楽が常に自分の上にあり、音楽が自分にとって一番のものだ。自分は音楽の上にいて、それは長くかかる道のりなんだ。

Q:音楽を演奏するのと、演じることとは、あなたにとって同位置にあるものですか?それとも音楽が上ですか?

A:映画というと、全く別の話になる。俺はマニピュレイターじゃない。映画で役を与えられ、呼ばれる事は、自分にとって大変大きな事だ。というのは自分は黒人の俳優だから。通常ブラジルでは黒人俳優の権利はあまりないから。一度でも映画で演じる機会を得られるのは、素晴らしいことなんだ。
俺はマニピュレイターじゃない。でも、自分の音楽に関わるプロデューサー、レコード会社、レコードの事は好きだし、プレスも好きだし、楽しめる。
映画は大きな違いがある。役を受けることになったら、物語について監督と話し合い、映画制作には多くの手間があるし、多くの人々、タレント、照明など多くの人が関わり、演じるにはたくさんの投資が必要となる。映画を作るには多く の能力が必要だ。成功すれば世界中で誰にでも知られるようになる。

Q:映画はあなたのキャリアに役立っているんですよね。

A:その通り。ミュージシャンで役者であることはとてつもなく豊かなことだ。

Q:自分は音楽家、役者、どちらであると感じますか?

A:いや、俺はエルビスみたいに思っている。俺は演奏したり演じることに自由を感じるんだ。

Q:『ライフ・アクアティック』ではデヴィッド・ボウイの曲を5 曲カバーしていますね。

A:これは自分にとっても驚きだった。ある時、監督のウェス・アンダー ソンが「14曲のデヴィッド・ボウイのポルトガル語ヴァージョンが必要なんだ、なぜかというと、今それらを脚本に書いているから。」と言ってきたんだ。だけどデヴィッド・ボウイは以前聴いた事も無かっ た、「レッツ・ダンス」以外は。でもこれらはボウイの偉大なスタンダ−ド曲だと感 じた。

Q:ウェス・アンダーソン監督がデヴィッド・ボウイのカバーを歌うよう、言ったのですか?

A:そうだよ、でも自分にうまくいくか・・・わからなかった・・・。でも、俺は素晴らしいことだと知っていた。世界中でポルトガル語があまり知られている訳じゃないし、映画の中で、特にボウイの曲で使われるのはとてもいい機会だと思った。

Q:カバー曲はどう選びますか?

A:アルバムの作曲家について言えば、友人のホベルチーニョ・ブランチ や、リオの素晴らしいバンドのドゥアニ、彼はエルヴィスやセルジュ・ゲンズブールについても話した。このCDの80%は、パーカッションのプレチーニョと一緒にプレイしている。俺もギターを弾き、歌いはするが、テクニカルなものにしたくなかった。スタジオでただ録音をやってるという風にしないようにした。
レコーディングは、素晴らしい体験だった。沢山バーに行って、川で泳いだり、バーベキューしたりしながら、OK、さあ、録音だ!、という具合に。スタジオにこもっていると、見えなくなる。小さい蟻を見つけては「ああ、アリだ!」とわかっても、象を見てなかったり(笑)。

Q:ゲンズブールの曲にカート・コバーンの名前を入れていますが?

A:これも俺にとってはフランス人へのプレゼントの一つ。ゲンズブール は自殺について歌っている。ブラジルでは皆が生き抜く為に戦っていて、自殺は無い。おかしなものだ、3日前にトゥールーズからパリに列車で来たとき、1人の男が自殺する為に線路 上にいたんだ。あるとき列車が急停車し、車内放送で「申し訳ありませんが線路で自殺があった為、遺体を片付けるのに2時間ほどかかります」とアナウンスが入った。 これは自分にとって大きなショックだった。なぜなら自分のカルチャーとは全く違っていたから。ファヴェーラは生きるのに容易でなく、暴力も多い場所だが、自殺は一度も 見た事が無かった。この曲を取り入れたのは、一つ思う事があったから。ゲンズブールは、「多くの人が自殺の事を考えている、気分がよくない」と歌っている。 「チャタトーン、自殺した、カート・コバーン、自殺した、ジェトリヴァーグ?元ブラジル大統領、自殺した、ニーチェは気が狂い、そして俺は気分が良くない」これは完 全な訳じゃないけれど、おかしいことにブラジルの文化では自殺を嫌う。人々は音楽を愛し、サンバで踊り、ココナッツ、海が好き。

Q:ブラジル人はポジティブだと?

A:その通りだよ。ブラジル人はかつて戦争を起こした事はないし、爆弾や戦闘機を作った事もない。ブラジル人は防御さえする事も知らない。

Q:ブラジルは他の国に比べて色々混ざり合ったとても特別な所なので しょうか。

A:すごいミクスチャーだ。あそこにいる誰もがブラジル人なんだ。ブラジル内にも色々なコミュニティが存在するが、例えば、日本人コミュニティの誰かに「あなたは日本人ですか?」と聞けば、「No, No, 私はブラジル人だよ」という答えが返ってくる。日本人とブラジル人、フランス人とブラジル人のハーフであろうと、そこで生まれた者は皆ブラジル人なんだ。

Q:ブラジルには大きなハートがあるからでしょうか?

A:俺は、ブラジル人を、文化が混ざり合っている事を誇りに思う。人々は混ざり合う事を誇りに思い、その互いをリスペクトする。

Q:それがブラジルの魔法なんでしょうか?

A:自分の文化を大変誇りに思うよ、俺らの文化は貧しくないんだ、みじめじゃないんだ。これは政治の問題なんかじゃない。政府は人々を見下していて、これにはまだ悲劇があるが。若い世代は違ってきている。自分たちの将来のことも考えている。

Q:映画『モロ・ノ・ブラジル』では自身の過去や音楽について語ってい ますが、あれらは事実なのですか?

A:本当にあった事だ、7年間、路上に住んでいたんだ。

Q:ということは、家がなかったのですか?

A:たまにあったけど、無かったりした。ブラジルにはひどい事もあって、シャシィーヌというマスクをした少年集団がいて、ファヴェーラで罪の無い多くの人々を殺した。例えば交通渋滞のバスの真ん中で、人々の混乱を巻き起こすなどの為だけに。ファヴェーラのコミュニティには多くの戦いがあった。そこで弟を 失った。俺は当時20歳で、自分のコミュニティを始め、小屋で暮らし、ある日 叔父がきて「お前は20歳で働いた事もないし働き口もなくて、母親も一緒で人の助けが必要 で、弟もとても若くて、これからどうするんだ」と言った。「俺は音楽をやりたいんだ!俺はバーで演奏している奴を知ってる。金が要るんだ。」「金が無いのか?ブラック?勉強はしていないのか?住む家も車も無いのか?音楽をする理由もないだろう?」と、彼は俺を信じなかった。理解できなかった。信じない理由があった。自分には路上でこのまま死ぬ理由がなかった。夢を実現させなきゃ、と。そして今ここに、夢とともにここにいる。7年の路上生活の後。
27歳で抜け出したんだ。彼、デフトンの助けによって抜けられた。 7年後の初めての家というのは、彼の家だった。

Q:このときの辛い体験は今のあなたに影響を及ぼしていますか?

A:路上で眠っていて目が見えないほど眩しくクラクラした。栄養不足から体内のビタミンが減り、目がやられて、しょっちゅう目薬をさしていたんだが、その薬の後遺症で今はアレルギーになってしまった。辛い時だった。今もよく覚えている。雨が降りしきっていた。トイレもシャワーもなかった7年だった。1枚のカーペットでこんなセメントの上で眠る生活。

Q:でも怖くはなかった?

A:政情によっては、色々混乱はあった。ストリートで暮らす人を「自分は善良な人間だ」と理解してもらうのは難しいからね。路上生活者は悪人に違いないと見られ、俺自身混乱した。でも、今は違う。家もあるし、家族もいるし、変わったんだ。

Q:あなたの歌い方に、強いパワーがある。

A:そう、音楽がこの世界を作っている、たまに「ファヴェーラの人々に対してソーシャル・ワークをしている、ファヴェーラを代表している」という人がいるけれど、違うんだ、俺はファヴェーラだけじゃなくて、ブラジル人を代表してい るんだ。自分と社会活動をしている訳で、自分自身も一つの社会問題だ。俺の仕事は社会問題の合法について語ること、なぜなら違法について知っているから。自分は社会問題の違法だったから。

Q:メンバーについて教えて下さい。

A:素晴らしい奴らだよ、

ファビス・ミューディーノ:パーカッション 
パーカッションはサンバの編成でファヴェーラ出身だ。

ネネ・ブラウン:パーカッション
ファヴェーラ出身のパーカッション。これらの3人はブラジルでベストのサンバのレコードに参加している、ひっぱりだこのミュージシャンだ。タイトなリズム。

プレチーニョ:パーカッション

リカルド:彼は素晴らしいミュージシャンで、今パリに住んでいる。偉大な女性シンガー、マリーザ・モンチのバンドでベースを弾いていた。

Q:彼らとはどれくらいの付き合いなんですか?

A:約3年間。でも別プロジェクトで。今のプロジェクト『クルー』では一昨年の9月から始めた。

Q:アルバムはシンガーソングライター的ですが、ライブでの編成はもっとパワフルですよね。どうやってこういう具合になったのですか?

A:1枚のアルバムには10曲入っていて、各曲が、あらゆる日常の生活.・・・目覚めとか、メイク・ラブの表現とかがあり、1枚まるまるダンスの為、というものではない。でもコンサートはちょっと違う、人々は例えばよりパワフルで、お酒が楽しくなるもの、仕事の上司を忘れさせてくれたりする様なものを求めている。だからもっと強力なものにしたんだ。

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2005年6月22日 仏・サンドニのコンサート会場にて
インタビュー&写真:プランクトン