東京・赤坂の草月ホール。開演前の客席に入った瞬間、普段のホールと様子が全く違っているのが目に飛び込んでくる。アーティストの登場を待つ楽器が置かれただけの舞台ではない。舞台奥ホリゾントには、天井から40mの巨大な白い幕がドレープをつけてステージに幾重にも吊り下げられ、周囲には流木などを使った樹木をイメージしたオブジェが配置されていた。この舞台美術の設えからも、この公演への特別な空気が感じられる。
それが、リアム・オ・メンリィ特別公演『螺旋の渦〜青柳』。リアム・オ・メンリィは、ケルトの伝統音楽、ソウル、R&B、ロックを自在に融合させるその音楽と圧倒的な歌声で「世界一のホワイト・ソウル・シンガー」と称されるアイルランドを代表するカリスマ・アーティスト。日本にも多くのファンを持っている。
タイトルにある「青柳」とは、現在NHKで放送中の連続テレビ小説『ばけばけ』のモデルとなった、小泉八雲ことラフカディオ・ハーンの代表作『怪談』に収められている、日本に古くから伝わる民話を元にした物語。
若い武士が山里で出会った青柳と名乗る美しい娘。二人は愛し合い、結婚するが、ある日体調を崩した彼女は、彼の腕の中で息絶えて消えてしまう。実は彼女は柳の木の精の化身だった。柳の木が突然切り倒されたことで、彼女もまた消えてしまったのだ。『怪談』に書かれた作品の中で、単なる恐怖を描くのではなく、自然への畏敬の念を込めて、現世と異界を超えた哀しくも儚い純愛を描いて人気の高い一編だ。
八雲がこうした日本の不思議な民話や伝承を収集し、『怪談』を書くまでに強く惹かれた背景には、あの世とこの世、死と輪廻、先祖と子孫、様々な妖精や精霊たちが常に身近な存在だと感じられる数多くの不思議な物語を古くから伝えてきたケルト文化の国、アイルランドで幼少期を過ごした影響がとても大きい。また遠く離れた国であっても、アイルランド人と日本人との間に、「見えないもの」に対しても深い敬意を持って大切に接する、共通した精神性を感じていたからに他ならない。
リアム・オ・メンリィは、10月に17年ぶりの新しいソロアルバム『PRAYER(プレイヤー)』を発表。自らの魂の道標、と語るスピリチュアルなアイルランド伝統音楽と美しいメロディの新曲を収録。「祈り」を意味するタイトルそのままに、彼の魂から発せられる、祈るような深い思いを込めた歌が、聴く者の心に静かに、強く、深く響いてくる作品になっている
この日の公演は2部構成。第1部「Tokyo Encounter」ではカナダ・オタワヴァレースタイルのアイリッシュダンスの達人たち、ザ・ステップクルー・トップ3withダン・ステイシーや日本人アーティストも加わって、リアムが得意とするケルト音楽の数々を繰り広げた。
休憩を挟んで、いよいよ第2部「青柳」の開幕だ。
「フィィィ〜〜〜〜ンン〜〜〜〜……」
暗いステージから、静寂を破ってまず響いてきたのは、普段のライブでは聴くことがない不思議な音色。アグレッシブなチェロ奏者の坂本弘道が演奏する、ミュージカル・ソウ。刃のない西洋ノコギリの形をした鉄板をたわませながら弓で弾く楽器だ。それはまさに音で聞く「幽玄」。現世と異世界を隔てていた扉が今、開かれた。
気がつけば、巨大な白い布と樹木のオブジェで囲まれたステージも、まるで能舞台のように、神聖な結界を作り出しているかのように見える。
再び静寂の中、そっと語りかけてくるように、とても優しいタッチでリアムがピアノを弾き始める。最初の曲は『Brid Og Ni Mhaille(ブリジッド・オー・モリー)』。今回のアルバムにも収録された、アイルランド伝統音楽の中でも特に美しく哀愁にあふれたメロディと言われるスロー・エアだ。
舞台奥の白い布に、「言葉」が投影されていく。
「青柳」
雪の荒れた地を歩く
寂れた村
君に逢う
「青柳」
遠い昔、
人々は自然の只中で生きていた
木々は、天と地を結ぶ架け橋
「青柳」は
この世とあの世を結ぶ
樹木の妖精
全ては樹木から生まれた
文:川島恵子
恋人を失った若い男性が、彼女への尽きない想いを自然の美しさになぞらえて歌う哀しい恋歌。切なさをたたえて深く響くリアムのボーカル、それに寄り添う美しいピアノとミュージカル・ソウの幽玄な対話が、ステージから波紋のように広がっていく。
この「青柳」公演は、青柳の物語の音楽による単なる再現を目指したものではない。背景に投影された文章も「青柳」の物語の世界観を伝えるものにすぎない。
小泉八雲がこの物語に込めた思い。ケルト文化と日本文化が共通して精神の根源に持っている自然と樹木への畏怖と崇拝。「あの世とこの世」「見えないもの」への深い敬愛。そうした想いに共感した、アイルランドと日本の優れたアーティストたちが、物語に託して樹木へのオマージュと、失われて行くものへの鎮魂のレクイエムを、たった一夜限り、まさに一期一会で生み出そうとする渾身のセッションなのだ。
続いての曲は『Eithne(エヘネ)』。リアム作曲の最新アルバム収録曲だ。題名は彼の母親の名前から。大地の母の慈悲深い愛を歌う大地の遥か奥底から聴こえてくる祈りの歌のような低音の旋律が、ホール全体を荘厳でスリチュアルな響きで包み込んでいく。
そしてまた、「言葉」が投影される。
ある日、「青柳」が伐採された
愛する日々が消えた
樹木の精霊に捧ぐ
レクイエム「青柳」
文:川島恵子
加えて投影されたのは、公演フライヤーにも使われたリアムが描いた柳の木の絵だ。
この曲の途中、舞台上手より、大鼓の佃良太郎が袴姿で登場、演奏位置に正座で着く。能楽師囃子方、高安流大鼓方の名手だ。
「いょほぉー、カッ」「いょほぉー、カッ」
荘厳でスピリチュアルな旋律の中に、掛け声と、絶妙の間と、大鼓の硬質な音が加わってくる。それは青柳が生まれ育った深い山里の樹々を想像させるこだまのようにも聞こえ、観客をさらに幽玄の物語の世界へと誘う。
アイルランドの音楽と、日本の伝統音楽との出会い。ぶつかり合うのではなく、お互いが共感し合い、融合しあって、どこにもない音楽が創り出されていく。
東洋的な響きを持ったスペイン音楽のような哀愁を秘めた旋律。リアムの繊細なピアノソロから始まった続いての曲は「An raibh tú ar an gCarraig?(ア・ラヴ・トゥ・アラン・カリグ)」。あの岩場にいたのか? という題名を持つ、アイルランド伝統音楽の名曲中の名曲だ。最新アルバムにも収録されているスロー・エアで、愛しい人に密かに会いにいくことをテーマにした恋の歌だが、18世紀のアイルランドでカソリックの信仰が弾圧されていた時代に、岩や自然を対象にして隠れて信仰を続けた人々を象徴的に歌った秘密の宗教歌、讃美歌でもある。
繊細なソロから始まったリアムのピアノも、次第に強いタッチの低音が音楽を雄弁に主導するようになり、曲のテンポが少しずつ上がっていく。
「いょほぉーっ、カーンッ!」とかん高い大鼓の音と掛け声はさらに勢いを増し、リアムの歌のゲール語と掛け声の日本語が響き合い、せめぎ合う。
渦を巻くように強烈な旋律が最高潮に達すると、一転、ステージに静寂が訪れる。再びリアムの繊細なピアノ。それをインドの民族楽器、タブラ奏者のユザーンが、リズムとメロディが一体となった演奏でそっと支えていく。
ここで静かに登場したのは、ダンサーのO B A。手や足の細かい動きが、腕、脚、全身へとしなやかに広がって大きなダンスになっていく。「青柳」の物語を象徴するような、植物が地面から芽吹き、成長していく生命力にあふれたダンスだ。
ダンサーであると同時に、庭師としても活動しているO B A。常に植物、樹木、自然に接している彼だからこそ表現できる、植物の心、樹木の命が見えてくる。
リアムのピアノ、大鼓、タブラ、チェロは、ダンスの動きと呼応するように、阿吽の呼吸で絶妙のセッションを繰り広げていく。
一人で踊っているのに、若者と青柳、二人の幸せな愛の日々を感じさせるダンス。しかしある日突然、青柳は倒れ、若者の腕に抱かれたまま、消えてしまった。愛する人を失った、深い悲しみと強い心の痛み。チェロのピチカートとタブラの哀しい音色もそれを伝えてくる。
慟哭の表情が次第に和らぎ、ただただ手を合わせて、祈りを捧げる姿に変わっていく。ピアノ、ミュージカル・ソウ、タブラが奏でる鎮魂の祈りの歌、レクイエムの中を、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくりと歩みながら、舞台から静かに消えていった。
アルバムでは演奏が18分を超える大曲。リアムがピアノの最弱奏で奏でる、悲しみを結晶化したような和音がささやくように響き、そして、長い、長い静寂。深い余韻を残して、この公演は終わった。
日本とアイルランドを結んだ小泉八雲の「青柳」の世界を、アイルランドと日本のアーティストたちが互いに共感し、心を一つにして臨んだたった一夜のコンサート。まさに一期一会の贅沢なセッションを体験できたのは幸せだった。リアム・オ・メンリィ、佃良太郎、坂本弘道、ユザーン、O B A、素晴らしいアーティストたちに、心からの拍手を贈りたい。