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2019年8月、ジョヴァンニ・ソッリマの来日を記念して開催されたレセプション・パーティの質問コーナーで語られた、ソッリマのルーツや思い出から彼の魅力の秘密に迫ります!



2019.9.11掲載

川島(弊社代表・以下K):昨日(ソッリマの)ドボルザーグ公演を聴きましたが、リハーサルの時から彼は譜面などは一切見ないですね。で、全てのパートが頭の中に入っている。リハーサル時も、指揮者にここのところは、あそこのところは、と言ったように譜面を差し、アドバイスできる。で、そういう風に、クラッシックの楽曲で譜面が頭に入っているのは何曲くらいあるんですか?って聞いたらミリオン(何百万)と言ってました。こういう天才、ジョヴァンニを日本でちゃんと紹介したくて、今日はみなさんに来ていただきながら、もちろん後でまた演奏してもらいますが、どのようにして、こういう音楽家が生まれたのか、というのを少し探りたいと思ってます。

K:彼はシチリアの出身です。イタリアのシチリアは(地図を指して)あの地図のように、チュニジア、アルバニア、ギリシャ、中東にも近い。こういう地理的な状況は、あなたの音楽性、クラシックのみならず、広い音楽に目が開かれた、ということと関係ありますか?

ソッリマ:もちろん、地図上で見えるように、シチリアは様々な文化が交差しているところなんだ。本当にたくさんの影響があり、ノルマン人の前のバロックの時代はスペイン王国が、そして中世にはシチリアの王国が支配し、その他バルカン、ギリシャの影響まで及ぶよ。そして私自身の名前も色々なルーツが混ざったもので、アラブ、ユダヤ系、スペイン、その他様々なルーツがあるんだ。
だからもちろん音楽も、シチリアに伝わる音楽を聴く機会があってそれを掘り下げると、多くの他の文化圏との強い繋がりを聞くことができる。伝承音楽の曲というのは、他の多くの曲を思い出させてくれるものだよ。
私の祖母は、古いアルバニア語で私に話しをして、歌を歌ってくれたんだ。シチリアに生まれた音楽家なら、自然に様々な文化圏の様々な曲に触れるんだ。しかし同時にシチリア人としてのアイデンティティもあるよ。いろんな要素が積み重なってる。モルモンの影響もあるし、教会、寺院、建物、食べ物、名前、いろんな要素が混じるというのがシチリアなんだ。もちろんクラシック音楽の伝統もあるし、ワーグナーがパレルモで作曲をしたことや、シューマンもよく訪れていたことも覚えておきたい。ストラウスがエトナ山のあたりで作曲したこともあったから、メンデルスゾーンもよく訪れていたんだ。そして一番最初にシチリアを訪れて、記録したのがゲーテなんだよ。
だから、こんなつながりと思えばいいかな、シチリアはヨーロッパと他の地中海をつなげる橋のような役割をしていて、広がっていったんだ。そこで生まれた者にとっては当たり前のことで、自然と様々な影響と情報を自然と得る、ということだね。実は私の家族は200年来の音楽一家なんだ。


K:シチリアでの名門音楽一家、200年以上前から代々音楽家なんですね、1700年代から、今まで。お父さんはピアニストであり作曲家。兄弟は5人いて、5人ともプロフェッショナルな音楽家だそうです。お父さんに子供の頃から作曲を習って、一番最初はピアノを弾き、9歳の頃にはチェロになったと。本人は楽器を学ぶというより、面白くて遊びの感覚。ピアノももちろん弾けるし、ヴァイオリンも、とトランペットも吹くと言ってましたね。どういう少年だったんですか?

ソッリマ:ある意味難しい子供だったかもね(笑)。いわば私はとても好奇心旺盛だったね。音楽、芸術、演劇、文学いろんなことに。友達とよくパーティもしたよ(笑)。16歳で、イタリア最年少でディプロマ(準学士)をとった。当時のシチリアの情勢は厳しくてね。マフィアと政治がらみで大変だった。私は友人とともにマフィアと戦い、学校でもマフィアを追い出したりした。1990年代に一般社会がマフィアというシステムに優勢になったんだね。
話を戻すと、16歳でディプロマを取り、ドイツ、そしてオーストリアのザルツブルグで学ぶためにドイツに移ったんだ。その時、父親に「ドイツに勉強しに行きたいんだ」と伝えると、「遂に、だな!」と言われ、5分後には荷物とチェロがまとめられていたくらいだよ(笑)。でもこんなことも、私が好奇心旺盛だったからなんだよ。音楽もそうだし、音楽の周りに何があるか、ということに関してもね。音楽の周りにあるものというのは、音楽だけではないね。演劇、映画、ビジュアルアーツ、様々なもの、全部含んで生の表現だね。いろんなことにとても興味を持ったよ。



2019.9.18掲載

K:本当に、ジョヴァンニは好奇心旺盛、curiosity、全てがそこから始まっている人だと思いますね。後ほどお話ししますが、手づくりの楽器も山ほど作り、様々な音を探る。空中の風の音をに揺らぐ飛ぶチェロとかですね、水の中でどんな音するんだろう、と、Cello in the Waterというのもやって。チェロは水の中では浮いてくるから、足に石をつけて、浮かない様にして…命がけですね。氷の、アルプスの氷のチェロっていうのもあります。好奇心でいうと一番凄い話は、自分がチェロになるというのをやって、それはどういうことかというと、首にストリングスを巻いて体が木のボディになりストリングスを張って…どうやるんですか?

ソッリマ:簡単なことだよ。チェロというのは、弾く人にとって、自分の身体が地面から90度で、チェロは体に斜めに寄りかかるような感じで構えるよね。そして80%の音は外に出て行くんだ。残りに20%は身体の方に行くよね。そして身体が共鳴するんだ。チェロは身体の80%をも覆う。だからある意味もう一つの身体だよ。
お話の通り、私はいくつか楽器も作っていてね、チェロはチェロなんだが、より社会的な意味合いがある楽器たちなんだよ。シチリアにいるときもそうだったし、ベルリンにいたときもそうだった。例えば、道に落ちている石や木などのガラクタから作ったチェロがあったり、この私のアルバム(We Were Trees)のカバーに使われているものは、シチリアの美しい大聖堂が崩れ落ち、丸天井なんてひっくり返ってしまっていた状態だったけど、政治家の誰もこれをどうにかしようと考えていなかった。車で通り過ぎた時に、何だあれは、と思い、何かしなければ、と思ったんだ。だから落ちている瓦礫を材料にチェロを作ったよ。そしたらジャーナリストや警察がやってきて、「なぜこんなことをするんだ。」と言ったから、「なぜってこの教会は崩壊していて、このままにしておくのは良くないことだ。」と。そしたら功を奏して2年後に新しい教会を建てることになったんだ。
浮くチェロに関しては、なぜそんなことをしたのかわからないな。思いつきだったんだ。でも水というのは音楽だと思って、試してみたんだ。チェロを弾く時、空気や水のことを考えたりするから、それじゃぁ実際水の中で弾いたらどうかな、と思ったんだ。水の中の音というのは本当に特別だったね!
そして飛ぶチェロ。20年ほど前にザルツブルクでやったことなんだけど、半分鳥で半分チェロみたいなものを作ったよ。風が元に当たって音を出した。大きな楽器を風といっしょに演奏しているみたいな感じだった。風が歌っているみたいだったね。小さい音だったけれど。とてもシンプルだったね。
それから、氷のチェロ、もやった。昨年ツアーもやったんだが、氷の楽器を作るスウェーデン在住のアーティスト、Tim Linhartが最初の氷のチェロを作ったんだ。私はマイナス12度に冷やしたドームのようなものの中で演奏したね。それが適温だったんだよね。最初に彼が作ってくれたのは10年前のことだったんだけれど、10年間冷凍庫を開けるたびに氷のチェロのことを思い出していたよ。1日に何度もね!10年が経って、Timが「ジョヴァンニ、もう一度氷のチェロをやろう」と提案して、ツアーを企画することになったのが去年だったんだ。それからCDも製作したね。一、二ヶ月後に発表したよ。チェロの曲や、ツアー中に書いた曲を収録した。

このツアーをして、いろいろ見えてきたんだけれど、今日の状況は10年前と違うんだ。この氷のチェロというのは、地球の状態を我々に教えてくれるものだよ。水、気候変動、移民問題、これらすべてのことは大切で、地球の現状、グリーンランドの氷の現状など、日常聞くことを実感させてくれるものだね。そしてとても繊細な楽器なんだ。我々に何かを物語ってくれるものなんだ。ツアーの最後のコンサートでは海に行って、この氷のチェロの型を取ってから、チェロを海に返したよ。自然に尊敬の念を込めて。そしてチェロは消えていった。とても強烈な経験だったね。

それから、この氷のチェロをイタリア中に持っていったからね、アルプスから、トリノ、ヴェネチア、それからローマ、シチリアまで行ったよ。南に行くにつれてだんだん暑くなってきてね、だんだん溶けてきてしまったんだ。パレルモにいた時、どうしようもなくなって、広場によって、友人のジェラート屋さんのアイスを入れる容器に避難させたりしたよ。いいアイディアだったね!
こういうことすべてが、私たちに大切なメッセージを投げかけてくれるんだよ。



2019.10.28掲載

K:まぁcuriocity, 興味が尽きなくて、チェロでどんな音が出るか、独創的いうか、画期的なアイデアを真剣に実験したり、枠を越えてやってますが、まずは真っ当にパレルモの音楽院をでて、シトゥットゥーガルトとザルツブルクの音楽院に最年少の優秀な成績ではいり、アントニオ・ヤニグロという世界的なチェリストに師事したんですね。作曲は Milko Kelemenから習ったと。ヤニグロには8年師事したそうです。それでチェロよ歌え!violincello vibreze!というソッリマ作の楽曲、日本でも多くのチェリストたちが演奏している有名な曲ですが、ヤニグロに捧げた曲だそうです。ヤニグロの教えというものはどういうものだったのでしょう。violincello vibrezeはチェロよ歌え、と日本語で訳されていますが、Vibrezeは震える、という意味ですね。

ソッリマ:そうだね、彼は本当に特別な存在だったよ。すでに演奏はできなくなっていたんだけど、彼の音楽を描く表現の仕方は本当に素晴らしかった。音楽を形として、視覚的に捉えることを説いてくれたよ。音楽を画像のように捉えるようアドバイスをくれた。そして彼はいつもこんな風にうつむき気味で、こう言ったこともあるよ。「ジョヴァンニ、なぜそんなに落ち込んでいるのだ?」彼は全てを見通し、本質を見ることができる人だった。ハッピーな人だったけど、同時にとても哀愁に満ちていた。彼の音はとても哀愁に満ち、すごく美しいからぜひ聞いてみてほしい。本当に父のような存在だったね。
そして彼の生徒はみんなそれぞれ違う個性をもっていた。それは、ヤニグロはアドバイスを与えて、適合をさせ、音楽への発想を与えるという教え方だった。各々は自分の個性でなければならない、と。彼は私に、自分の表現、自分の感性、魂を出し尽くすような表現することに、手助けしてくれた。
私自身はとても創造的で、クラシック音楽も弾いていたし、簡単ではなかったけれど、編集された楽譜より、元版の楽譜を図書館で探したりしたし、作曲もし、ジャズ、ロック、フォーク、エスニック、アイリッシュミュージックなど、いろいろな音楽を弾いていたんだ。ヤニグロはそんな私を自由にさせてくれ、「ジョヴァンニ、シューマンも弾き、自分の曲も弾きなさい。」と言ってくれたし、本当に狭い視野のかけらもなかったね。
彼はとても力のある先生だった。とても正しく、必要であればとても厳しく、とても人間味のある人だった。とてもオープンなマインドの持ち主で、私や彼の教え子にこう言っていたよ。「生活というものを忘れないでほしい。道を歩いたり、泳いだり、美術館に行くことができることを。キャリアのために一辺倒にならず、自分のペースで、ゆったり構えることも忘れてはならない。」と。同時にとても愉快な人だったね。そんな彼の人間らしいところがとても魅力的で美しいところで、もちろんチェロもちゃんと教えてもらうのだけれど、それ以上に人間的なところをたくさん吸収したよ。




2019.11.07掲載

K:昨日はあなたのドヴォルザークを聴いて、こんなに素敵な曲だったんだ、と改めて感動しました。ドヴォルザークのチェコへの郷愁や、アメリカに移民した新天地での希望、彼の人生が、とうとうと音楽で描かれていて、あ、こんなにスケールの大きな、綺麗な、美しい女性への愛も描かれ、まるで映画を見るように映像的で感動した、そういうことを彼に話したら、ソッリマは「ドヴォルザーグが姉妹に宛てた手紙があって、それは、ボヘミアの地への郷愁やアメリカへの希望、自分の気持ちを綴った手紙だった。私はそれを熟読し、そういうドヴォルザークの作曲への気持ちを演奏に込めている。自分は、作曲時に表現しようとしていることが何なのかということを常に深く意識している、音符じゃなく。それはリアルなんだ。」という。更に彼は「音楽はとても抽象的で掴めないし、何も見えないが、すごくリアルである」ということを強く言うんですね。そのリアルというのはどういう感じですか?

ソッリマ:思うに、全ての音楽のスコアというのは、無限の解釈が可能で、音符を読んで、音符を弾くのだけれど、音と音の間に幾千もの物語があるものだと思うよ。ドヴォルザークのコンチェルトは、二つの面、二つの世界を表現していると解釈しているんだ。彼の故郷のチェコのスラブの魂を感じることができるし、彼が目指し、目撃した新世界、つまり当時の夢であったアメリカも感じる。彼はこの曲を1895年ごろに書いたのだけれど、その当時の雰囲気、情景を感じ取れる作品だ。メロディーからもそのことがわかるよ。スラブ人のチェコ共和国と、それからゴスペルのような、他の音楽の情緒が漂っている。
そしてこのコンチェルトは非常に現代的だね。なぜってこの曲は自分の国に不満を持ち、より良い人生を獲得することを夢見てそこから抜け出す夢を物語っているんだから。現代もそういう感覚というのは人々の中に存在しているものなんだ。この100年も前に書かれた曲で、故郷を離れ、迷い苦悩し、心の一方で故郷の旋律が聞こえ、もう一方では新天地で新しい人に会い、新しいメロディーに触れる、という思うにとても大きな衝撃について、ドヴォルザークは物語っているんだ。この曲で二つに別れるシーンがあると分かるだろう。一つは過去について、そしてもう一つは新しい地について。これは夢の曲だ。壮大な、山々、広大な海の景色を描いている。この曲を弾く時、一人の人が旅をすることを想像するのではなく、2000万もの人々がそこへ向かうことを想像している。
私にとってとても特別な曲だ。このコンチェルトは未来への幻想、ノスタルジーを感じるもので、とても詩的で強さがあるものだね。この曲を演奏するときはいつでも感情が高ぶるし、自分一人だけでチェロを弾いているわけではなく、何百万の人々の声を背負ってこの表現をしていると感じているよ。

K:いやぁ、すごい。音と音の間に人生やストーリーがあると言うのは、本当にそう思います。聞いていて。ソッリマはエリス・アイランドをテーマにしたオペラを書いています。2時間のオペラ。それはミラノやローマ、シチリア、いろんな都市で上演されたようです。エリス・アイランドというのは19世紀の、イタリアやアイルランドや、スコットランド等からアメリカに移民した際、一番最初に通る検問所が置かれていた島ですね。そこのストーリーをまさにオペラにしたわけです。

ソッリマ:2002年か2003年のことだったが、その頃ニューヨークに住んで居たんだ。コンペで優勝して、奨学金をもらったりしてね。だからそこに移った。でもオペラを書くことは、偶然に思いついたことなんだよ。
ある日パソコンが壊れてしまって、お店にパソコンを借りに行ったんだ。音楽を書かなきゃならなかったからね。で、店のピアスをつけた若者と英語で話していたんだけど、彼から修理中の代用のマックとソフトウェアを借りて、帰り際に私が、「それじゃ1週間かそこいらでこれを返しに来るから、その間に僕のを直しておいて。受け取りに来るから。」と言い、店を出かけると、「グーパ!」という声を聞いたんだ。それは古いシチリア語でね。驚いたよ。私は彼のところに戻った。その若者は沢山のシチリアの言葉は知らなかったけど、「僕のお祖父さんのおじいさんがシチリアの出身だったんだ。そして今あなたの顔を見てね、どこか似たところがあると思ったんだ。」と言った。その時僕はこう思った、「確かに同じシチリアの言語だ、でもどこか他の言葉のようだな。」
次の週私はブルックリン、そしてプリンスまで行って、この言葉を聞きに行ったんだ。私たちシチリアの人間が失ってしまった言葉をね。とても興味深かった。そしてオペラを書いてみようと思ったんだ。2幕に分けてね。
そのオペラの第一部はイタリア移民、主に南イタリアからの何百万もの移民について書いた。とても美しい話でね、オペラとミュージカルの間のようなもので、そして面白さもある感じに仕上がったよ。第一話は1850年ごろから1920、30年代の話で、大勢の人が新天地を目指したことについての話。第二部は1992年からの話で、こちらはシチリアの南の方の島にいろんなところから移民が来たことについての話を書いた。
このオペラでいろんな言語を使ったんだ。古いシチリア語、イタリア語、英語とシチリア語が混じってできたスラングなどね。これらの言語の辞書まで作ったよ!で劇場のロビーにパソコンをおいて、来た人がこれを見れるようにもした。
この二つの幕で、違う言語を使い二つの違った芸術、違った時代を扱ったものなのだけれど、ストーリーは同じような感じとも言えるんだよ。これはその時書いたオペラの話だけれど、このオペラはオーケストラに限らず、ロックの楽器、エレキギターや道に落ちていたガラクタで作った自作のパーカッション、サンプラーを使った電子楽器、ロック歌手、ポップ、エスニック、オペラなど様々な歌手をフューチャーしたんだ。なぜなら、いろいろ入り混じった音楽的言語が必要だと思ったからね。



〜次回更新へ続きます。お楽しみに!!〜



ジョヴァンニ・ソッリマ Giovanni Sollima > レセプショントーク

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