思い出アルバム [動画・エピソード]

〜ありったけのストーリー BY KEIKO KAWASHIMA〜
—かくも素晴らしき音楽家たち—

ザ・チーフタンズ編

◆その1(2020.7.22掲載)
◆その2(2020.7.28掲載)
◆その3(2020.8.07掲載)

text: 川島恵子(プランクトン代表)
ザ・チーフタンズは1991年の初来日以来、2017年まで10回来日、その都度、様々な日本人とも共演し、いく先々で会場全体を歓喜の渦に飲み込み、名演を披露して来た巨匠たち。いろんな旅がありました。次の来日に期待を馳せて、、、。
ここでは当時のツアーのいくつかを紹介、忘れがたきエピソードを連載します。
ザ・チーフタンズ初来日(1991年)


◆ツアー・エピソード その1

(2020.7.22掲載)

1. せっかち爺さんたち

ザ・チーフタンズの初来日は1991年9月。世界中で有名も無名も関係なく、「21世紀に向け普遍的なアーティストを、自分たちが本当に見たい人だけに声をかけよう」と細野晴臣、清水靖晃プロデュースのもと、プランクトン制作で行なった音楽フェス「東京ムラムラ・フェスティバル」の出演のための来日でした。
この「東京ムラムラ」は10日間に渡り、7、8組の外国勢(マイケル・ナイマンやヴァン・ダイク・パークス、カルロス・ダレシオ、ジョン・ゾーンにビル・ラズウェル、メシオ・パーカーなど)と日本チーム(清水靖晃や無声映画合奏団など)が出演し、音楽のジャンルを超えた、いわば、世界音楽図鑑とでもいった様相の実に面白いプロジェクトでした。
この時、メンバー6名とダンサー2名が来日。 プランクトンの製作陣は上記の様々な国からのアーティスト連の迎えと現場制作をたった数名でこなし超てんてこまい、連日成田空港通い。なんの間違いか、チーフタンズの迎え時に、アテンド通訳が空港に到着しなく、日本に彼らが降り立った時から大ミス! しびれを切らしたパディ御大が空港から引きつった声で電話がはいった!「一体全体、俺らをどれだけ、こんな退屈な空港に待たしておくんだッ〜!!!」
この時から、「あ、この人たち、せっかちなんだー」とわかったのでした(笑)こちらのおマヌケ具合はさておき(笑)。
その後、事あるごとにその教訓を感じる羽目に。10分でも待たすと、帰るッ!と言い出すのです。「せっかち」は御大だけでなく、メンバーも大なり小なり。
2回目の来日時、パルコパート3で公演した時は、公演が終わりアンコールで再登場。が、マーティン・フェイ(フィドル)だけ楽屋にもトイレにもどこを探してもいない!!? 焦りまくり。アンコールはマーティンなしで! 彼はステージを終えたあと、フィドルとケースを手に、すぐさまトットとホテルに帰ってしまっていたのでした! (早くホテルに帰っても別に用事があるわけでもない。バーに直行なのです(笑)。)当然、、平気な顔して5人は演奏する。よくあるのかなあ、って?
セッカチぶりは驚くべきで、その後のどの公演でも、会場に入ったらストレートに舞台に登り、サウンドチェックを始めるので(大抵は他の音楽家は楽屋でお茶を飲んだり喋ったり、しばしくつろぐものです)、舞台スタッフもいつもピリピリ。
1秒も無駄にしないチーフタンズ。恐るべし!でした。

ちなみにこの「東京ムラムラ」では1夜に2グループが出演するしかけで、もうひと組はアフリカ・タンザニア、ザンジバル島の「ザ・ミュージック・オブ・ザンジバル」。アラブの旋律を奏でるバイオリン4名と大正琴やパーカッションなどからなるグループで、この素朴な、おそらく、自己流のチャーミングなバイオリン奏者たちはチーフタンズのスキルに驚く。楽屋ではチーフタンズのショーン・キーンやマーティン・フェイが一所懸命弾き方を教えていて、実に微笑ましかったですよ。
この「ムラムラ」では観客は150人ほどで2日間の公演。このころは日本にはまだ、アイリッシュ・パブが一軒もなかったし、チーフタンズのアルバムも日本では発売されていなかった。ピーター・バラカンさんが朝日新聞で絶賛してくれたのがとても嬉しかった思い出があります。

【初来日】1991年9月17日 東京パーンホール
「東京ムラムラデラックス版」出演
チーフタンズ:パディ・モローニ、マット・モロイ、ショーン・ケーン、マーティン・フェイ、デレク・ベル、ケヴィン・コネフ
ダンサー:フリーダ・グレイ
ゲスト:劉宏軍


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◆ツアー・エピソード その2

(2020.7.28掲載)

2. お決まりのスピーチから始まる舞台

チーフタンズのステージは毎回お決まりのパディのスピーチで始まります。落語のよう。観客に向かって一方的にゲール語でまくしたて、あ!(さも今、気づいたかのように)、ソーリー、ソーリー(ごめん)と英語になり、どーッと笑わせるのです。私の知る限り30年以上やってる(笑)。いつから始まったのだろうか。しかし、飽きずにずっとやってるところが常識(?)を超えているし、見る側も毎回の芸を見て「きた〜!」と興奮するのです。
そして、「世界一素晴らしい町、ダブリンからやってきました!」と喋ります。世界一素晴らしいと誇りをもって言い切るところが実に羨ましいし、それは返せば、アイリッシュトラッド音楽への誇りなのだと思います。ルーツを知ること、ルーツに誇りを持つこと、これはチーフタンズから教わった最大の感銘のひとつであり、また、のちに仕事をした多くのジプシーたちからも学んだ素晴らしいスピリットです。
私たちが「世界一素晴らしい街、東京から来ました!」と言えるようになるだろうか、、。
チーフタンズは毎年春にはアメリカで2、3ヶ月ツアーをしています。アメリカにはアイルランドからかつて(19世紀)止む無く海を渡った百万人以上の移民がいます、ジャガイモ飢饉です。その子孫たるや4000万人になると言われますが、そういった人々皆に向けても、また、イギリス、カナダ、オーストラリアなど世界に拡散したアイリッシュに、そして、ブルターニュやガリシアなど、ケルト文化の地域に向かって、世界のふるさと、世界一素晴らしい町、と誇りを共有しているのだろうと感じたりしました。

そして、其々、全く違っているメンバーのキャラを、音楽性と共に、フューチャーします。演出なのか、素なのか、ぎりぎりの感じでエンターテインメント。まるでコメディのような面白さがあります。

95年のオーチャードホールの公演を見た泉麻人氏が週刊誌(文春)で書いたコラムがすこぶる楽しかったです。
『チーフタンズの6人は、大方、六十代か、ヘタをすると七十にかかっている方もいそうな、老練なメンバーで、パッと見したときはこんなことで2時間もつのだろうか、、、と少々心配になったが、あに図らんや、実にエネルギッシュかつ素敵なステージが展開された。〜中略(ゲストの矢野顕子やロリーナ・マッケニットにも触れ、絶賛)〜
チーフタンズのハープ担当の太った男は、独奏を終えて、拍手喝采を浴びると、ポケットチーフをすっと取り出して、客席に向かってヒラヒラ廻して見せて、おどける。そのときに、バンマスのパイプ担当の男が、おいおいナニやってんだ、調子にのりやがって、、、と、苦い顔をして首を傾げる。
そんなやりとりに、クレージーキャッツやドリフターズをふと思わせる、コミックバンドの匂いも感じられる。
こういう、もの凄い老練バンドを観ると、欧米音楽界の底の深さを思い知らされる。』
このチーフタンズの有様は、(一絡げの欧米とは違って)とてもアイリッシュ特有に思います。演劇心があり、皮肉やで、お話好きのアイリッシュならではの、「観客の楽しませ方」なのだと思います。ブロードウェイなどとは比べられない素朴な、そして何より、「人柄が伝わる」エンターテインメントなのです。
チーフタンズが世界で愛されてきた所以はその豊かな音楽性のみならず、こういったアイリッシュを背負った姿勢にもあるような気がします。






【5回目の来日公演】
1995年
11月28日 大阪・近鉄劇場
11月29日 愛知・名古屋クラブクアトロ
11月30日 富山・円形劇場ヘリオス
12月2日 東京・Bunkamuraオーチャードホール
12月3~4日 東京・グローブ座
チーフタンズ:パディ・モローニ、マット・モロイ、ショーン・ケーン、マーティン・フェイ、デレク・ベル、ケヴィン・コネフ
ダンサー:キャラ・バトラー、ダニー・ゴールデン
ゲスト:ロリーナ・マッケニット、カルロス・ヌニェス、矢野顕子


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◆ツアー・エピソード その3

(2020.8.7掲載)

3. 奇跡の高島町と松江公演 ー第2回目の来日時。

2回目の来日1993年にアイリッシュパブが初めて原宿に誕生し、チーフタンズの来日ウェルカムパーティをそこで開催、大いに盛り上がった次第。
この2回目公演の「パルコパート3」ではキャパ300人の会場で連日完売、追加も入れて、4回公演を達成する快挙!
このツアーではダンサー、ジーン・バトラーが初登場。パルコパート3のステージが狭すぎて足がつり、リバーダンスの初代プリマドンナ、世界のプリマドンナ、ジーンに申し訳ないことを。私はあの長い美しい足を終始マッサージをする役得に。

さて、人口6000人の小さな町にチーフタンズ! 
この年、滋賀県高島町という小さな町に、アイルランド人作家ジョナサン・スウィフトのガリバー旅行記から発想を得た「アイリッシュパーク」が誕生し、「ガリバーホール」というホール(キャパ500人)ができた。チーフタンズははるばるダブリンからホールのこけら落としに招かれたのです。高島町役場主催。
6歳から80歳のおばあちゃんまでまるで町中が集まったかのような賑わいでウエルカム、この時、数十人の子どもたちがアイリッシュホイッスルを吹いてチーフタンズをステージでウェルカムしようという話になったのですが、ステージの上で観客に向かって吹くとチーフタンズにお尻を向けるし、チーフタンズに向かっての演奏だと観客に失礼だし、一体どうしようと役場の人たちがあれこれ悩んだのです。結局、ステージ最前列にならび、バンドを歓待したのですが、町役場の方々のどたばた配慮ぶりが素朴で、まるでアイルランドの片田舎の出来事のような暖かい会でした。
(後にパディ・モローニがインタビューで「日本人音楽家たちとも多くの共演を重ねてきた。滋賀の高島町で子どもたちが《ダニー・ボーイ》の演奏で歓迎してくれたことや、沖縄の音楽大統領(照屋林助)との出会いなどは、特に美しい思い出として心に残っている」と語っている)

この時のツアーでは、アイルランドを父に持つラフカディオ・ハーンが19世紀末日本にやってきて住み着いた土地、島根県松江にチーフタンズを連れたいと強く思い、つてもないが市役所にアプローチ。
今思えば、よくやれたものです。
松江のプラバホールに遠征しました。
松江は小泉八雲がかつて日本に帰化し執筆のイマジネイションを得た地であり、八雲館も創設されているゆかりの地。しかし、町中でチーフタンズを知っている人は2人しかいない、一人は当時在住のアイリッシュがいて、もうひとりは地元の短大の先生、だそうで。バンドはアイルランドの音楽大使だし意義ある公演になるだろうと、一旦は前向きになった市役所担当者も、これにはガックリ肩を落しました。
しかし、諦めない!短大の富井先生(詳しくは当時の新聞記事へ)の愛情は深かった(笑)、教育会が腰を上げ、小泉八雲の関係者や町ぐるみで応援してくれ、当日は500席のホールが満杯になりました。先生が生徒をたくさん引率し、公演後は楽屋に女子大生がムンムン溢れ、デレク・ベル(ハープ)大はしゃぎの図でした。

マット・モロイ(フルート)は小泉八雲記念館を訪れ、後日小説にも触れ、いたく感動したようです。マットが住むメイヨーは西アイルランド、ゴールウェイから1時間ほどの場所にあり、行く道にはゲール語がまだ日常的に話されている土地もあり、山や湖に精霊が宿ると考えられています。八百万の神々が集う出雲の国、島根は、霧のかかった海にのぞみ、アイルランドと共通する気候ですが、100年も前に日本にやってきたアイルランド人作家がゴースト(怪談)の話を書いていた!ということに、仰天したようです。そう、日本とアイルランドには共通の精神、「神様は山にも森にも川にもいる」というアニミズムの考え方があります。このケルトのスピリットが、島根で、小学生でも学校で学んだ"幽霊の不思議なストーリー"を生んだのです。

話は飛びますが、小泉八雲が日本で怪談を書いていた頃、アイルランドではイェーツが日本の能に触発され、能の原作「鷹の井戸」を執筆していました。(ケルティック能「鷹姫」はこちら)日本とアイルランドには100年前から、いや、八百万の神々、縄文の時代と古ケルトの時代から、自然崇拝/精霊崇拝の精神が共通していたのですね。




【2回目の来日公演】
1993年
11月3日 滋賀・ガリバーホール(ゲスト:高島町アイリッシュ合唱団)
11月4日 大阪・IMPホール
11月5日 島根・プラバホール
12月7~8日 東京・PARCO SPACE PART 3(ゲスト:知久寿焼、さねよしいさ子、チト河内)
チーフタンズ:パディ・モローニ、マット・モロイ、ショーン・ケーン、マーティン・フェイ、デレク・ベル、ケヴィン・コネフ
ダンサー:ジーン・バトラー


〜その4へつづく〜


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