アフリカン・フォーク界の新しい宝石 −Le Nouvel Observateur誌
逸脱したアーティスト、何というアフリカの美しさ! −Elle誌
堪らない! −Mondomix誌
胸を打つような情熱を掻き立てる見事な1stアルバム −Paru Vendu 誌
傑出した1stアルバム Muziq誌
円熟した1stアルバム。このアフリカの新人は素晴らしいキャリアを保証する −La Terrasse誌
素晴らしいバイブレーションに満ちた1stアルバム −Zicazic.com
アフリカ全土に鳴り響く優しいメロディー −Liberation誌
2008年度のベスト・アルバム・トップ10枚!! −Songline誌
西アフリカの内陸部に位置するブルキナファソ出身。30年のキャリアを持ち、48才で『ブルキナファソからの黄昏アフロ・ブルース』(原題:Victor Deme)でアルバム・デビューを果たし、瞬く間に世界で大ブレイクしたシンガー・ソングライター。
数多くの世界的ミュージシャンを輩出してきた西アフリカのマンディング(またはマンデ)と呼ばれる文化圏に属し、グリオ(世襲の音楽家)として60年代に活躍していたという母親を持ち、音楽的に恵まれた家系に生まれ育つ。10代の頃から地元のクラブに出演してシンガーとして活躍。やがて、コートジボアールのクラブに進出して、マリの大物歌手として知られるアブドゥライ・ジャバテ(※コラ・ジャズ・トリオのピアノ奏者とは同名異人)が率いるスーパー・マンデ・オーケストラとも共演。88年に自国に戻った後も数多くの音楽賞を受賞するなど、着実にキャリアを重ねてブルキナファソを代表するシンガーの座へと登り詰めつつあったが、ある事情によって数年間音楽から離れた。ブランクを経て再び歌い始めたが、その道は決して楽なものではなく、出演するクラブのオーナーからは自作の曲ではなくサリフ・ケイタやモリ・カンテのヒット曲を歌うように要求されるなど。不遇の時期が長く続いた。そんな逆境のなかでもオリジナル曲を書き溜めていた彼に転機が訪れたのは2005年、首都ワガドゥグーにあるバーのマネージャーとの出会いから、より自由なライブを行えるようになる。2007年にフランス人のジャーナリストが彼の音楽をプロモートするために設立した自主レーベルから初のアルバムを発表するために、バーの仲間たちの協力も得て作られた小さな簡易スタジオでレコーディングを開始。本作『ブルキナファソからの黄昏アフロ・ブルース』を完成させた。ヨーロッパでリリースされたとたん大絶賛され、ヴィクターは一躍ブルキナファソ、そしてアフリカを代表するミュージシャンとして認知され、成功を収めた。2010年3月から大規模なヨーロッパ ・ツアーが組まれており、10月には初来日公演が計画されている。
|