(株)プランクトン

Liam O'Maonlai
リアム・オ・メンリィ1999来日公演終了

オーラの閃光を放つアイリッシュ・ソウル・シンガー、リアム・オ・メンリィ。
天性のライヴ・パフォーマンスぶりを惜しみなく発揮する初のソロ・ステージ!!

リアム・オ・メンリィ From : Hothouse Flowers
(vo, piano, g, bodhran, whistle)

コンサート・レポート

リアムからのメッセージ「ONE DAY IN PEACE」

1999

VENUE

共演、ゲスト等 (GUESTS)
9/10(FRI) (SADO)小木町/花の木 共演 : 金子竜太郎(和太鼓)
ゲスト : 嵯峨治彦(馬頭琴、ホーミー)
9/11(SAT) (SADO)金井町/大慶寺
9/13(MON) (OKINAWA)石垣島/公設市場屋上 ゲスト : 安里勇(三線、ヴォーカル)
9/15(WED) (OKINAWA)那覇/リウボウホール ゲスト : 新良幸人(三線、ヴォーカル)
9/16(THU) (FUKUOKA)博多/住吉神社 能楽堂 opening act : 山口洋
9/17(FRI) (OKAYAMA)岡山市オルガホール opening act : 山口洋
9/18(SAT) (OSAKA)梅田バナナホール Guest : 山口洋
9/19(SUN) (KYOTO)磔磔 -
9/22(WED) (TOKYO)ラフォーレミュージアム原宿 opening act : Ronan O'Snodaigh
Guest :山口洋
9/23(THU) (TOKYO)渋谷クラブクアトロ


リアム・オ・メンリィ (ヴォーカル、ピアノ、ギター、ホイッスル、ボーラン、ディジリドゥ)
ソウル/R&B、ゴスペル、フォーク、そしてアイリッシュ・トラッドをブレンドした「アイリッシュ・ソウル・ミュージック」を表現し、圧倒的なライヴで人気を獲得した、ダブリン出身のロック・バンド、ホットハウス・フラワーズのフロント・マン(ヴォーカル、キーボード)。また、ボーラン、ホイッスル、ディジリドゥなどで多数のトラッド系のアーティストのアルバムでも活躍し、ソロ・マルチ・プレイヤーとしても注目されている。ここ数年はホットハウス・フラワーズ('98)以外でもドーナル・ラニー('96)、ALT('98)と別プロジェクトで来日。いずれも、ステージごとに毎回違った表情をみせる天性のライヴ・パフォーマーぶりを発揮し、観客を魅了した。今年5月には、アイルランドのゴールウェイにて初のソロ・ライヴを行い、フラワーズのナンバーはもちろん、トラッドを中心に3時間ものステージを繰り広げた。
前回の日本公演を含むホットハウス・フラワーズの2枚組のライヴ・アルバムを年内にリリース予定。現在リアムは、トラッドを中心としたソロ・アルバムを計画している。
今年8月公開にされるアイルランド映画『ウェイクアップ・ネッド』(イギリス興行成績初登場1位)ではメイン・テーマを歌い、サントラ盤にも参加。トラッド・ミュージシャンの一面を披露している。

「厄介な風」

 ひょっとすると、ぼくらは誰もが心の中に風を抱えているのかもしれないなあ、と思えることがある。ときにそれが乾いた空気を運び込んだり、湿り気を吹き込ませたり、あるいは穏やかに心落ち着かせたり、激しく嵐を巻き起こしたり、といろんな感情の変化をもたらすのではないか、と。そして、その風は自由で、どんなものにも縛られることがない。だから、ある意味では厄介で扱いにくい。リアム・オ・メンリィは、まさしくその厄介な風のような存在だ。歌に対して真っ直ぐ向かい合い、見栄だとか富だとか、芸術だとか時代だとか、そういった小賢しいものは彼の前では一切役にたたない。彼は、彼自身の旅として歌と向かい合っている。彼の歌声に、ぼくらが胸をうたれ、涙を流さずにはおれないのは、おそらく、彼の歌を通じて、ぼくら自身の風の存在を感じているからなのかもしれない、と思う。日々の営みの中で、本来はこうありたいと願ってはいながら、世の中のしがらみを前に逃げたり諦めたりして、狡さだとか卑しさだとかを身に着けていく。そうやって、日毎にずる賢くなっていく自分の中に、深く微かに潜んでいる風の存在を感じることができるからではないか。だからこそ、理由もなく涙がこぼれてくるのではないか。とまあ、あれこれ考えたりしているのだけど、そんなことさえも意に介さず、今日も彼は何処かの街で歌い、ポケットからティンホイッスルなど持ちだしては、哀しい歌、嬉しい歌、淋しい歌、楽しい歌をその街角に響かせているに違いない。その歌たちが、次はどんな風を運んできてくれるのだろうか。

天辰 保文

「無敵の天然力」

 極端なもの忘れとか依怙地さとかいった負の属性を勝手に正であると主張して周囲を納得させてしまう年寄りの不思議な自己肯定能力のことを、昨今、巷では「老人力」と呼んでいるようだが、ならばリアム・オ・メンリィは「天然力」の人である。「天然力」とは、どんな状況下にあっても、ありのままの自分自身をさりげなく無防備に提示できる柔らかく強靱な自己実現能力のことだ。しかもそれは、決して偏狭なエゴの押しつけや意識的な自己主張などではないし、ありのままの自分自身に対する自己認識とも無関係である。つまり、スッ裸の赤ん坊が持つ恐るべき無防備パワーのようなものだが、リアムの場合、この「天然力」が周囲の人間にもことごとく伝染してしまうところがすごい。彼が歌うと、いや、彼がただ立っているだけで、半径50メートルが天然ゾーンに変わり、そこにいる人々全てが知らず知らずのうちに外に開かれ、「天然力」を身につけてしまう。これはひとつの魔術のようなものである。
 リアムがたった一人でやって来るという。一人でピアノやギターを弾き、一人で歌うという。地方では、旅館の広間や市場の屋上でも歌うという。PAがない場所もあるという。つまり我々は、文字通り一対一でリアムと向き合うことになる。全身の毛穴から噴き出る彼の純朴なソウルと無敵の「天然力」は、いかに我々を柔らかく開き、いかに天然ゾーンを作り上げてゆくのだろうか。こんなスリリングなライヴは、めったにない。

松山 晋也

 ニューヨークで短期の居候を繰り返していた頃、屋上でよくラジオを聴いていた。そこに流れてきたのが、ホット・ハウス・フラワーズの「Give it up」だった。圧巻だった。その名前のごとく、温室に咲いた花が天まで伸びていこうとするだけの生命力に溢れていた。まるで「リアムと豆の木」。俺もその音楽によって、高みまで飛んでいったのだ。
 ロックンロールが好きでたまらないのは、例えばこんな瞬間だ。精神と肉体を使ってニョキニョキと「高揚」していくあの感じ。
 96年、佐渡で行われたイヴェントにて。
 上空にはトンビが舞っていた。気流を捉えて上昇していくその様は、まさに「あの感じ」だった。そして、ステージではリアムがトンビと同じ動きで舞っていた。彼の歌声はトンビまで届いていたに違いない。美しい眺めだった。
 そんなリアムが単身やって来る。楽器なんかなくても、彼はそこら中にあるものを楽器に変え、歌に変え、我々の目前に様々な景色を描いてくれることだろう。
 彼は空気を握ることが出来る数少ないミュージシャンのひとりだ。その日、その場所にしか存在しない「瞬間」。何が起こるのか誰にも分からない。リアムさえそれを知らない。運が悪けりゃ何も起こらない。けれど、そんな風に予定調和ではない彼のライヴが俺は大好きだ。
 今回は彼の音楽を愛する人達によって、バラエティーに富んだ会場が用意されている。本当に楽しみなのだ。ワクワクするのだ。そこに参加できる喜びも含めて。

Heat Wave / 山口 洋