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ビ・キドゥデ
Bi-Kidude

ターラブの女王「ビ・キドゥデ」インタビュー

サカキマンゴー(親指ピアニスト)


小柄な女王
初めて会ったとき「小柄な人だ」と思った。聴く人を強烈にひきつけるような他の誰にも似ていない歌声を何度もCDで聴き、映像でもその姿を見ていたにもかかわらず、予想以上に小柄だった。「小さい一方で、すさまじい存在感だった」と言いたいところだが、声を出さない限りは、吹けば飛びそうな雰囲気。「ビ」は女性につける敬称、キドゥデとは「小さくて得体の知れないもの」を指す。幼いころ、家を訪れた親戚が、寝ている彼女に気がつかずに、その上に座りそうになったことで「キドゥデ」の愛称が生まれたという。

ターラブとは
ターラブは、東アフリカの沿岸部でアラブやアフリカなどの、さまざまな文化が混ざり合って生まれたミクスチャー音楽だ。その中心地のひとつ、タンザニアのザンジバル島は、イスラム教の成立よりはるか昔、1世紀あるいは2世紀にエジプトで書かれたエリュトラ海案内記に登場するほど、古くからインド洋交易の拠点として栄えた土地である。11世紀ごろにはすでにイスラム化した住民も住んでいたらしい。近世では、ポルトガルの進出にさらされたり、東アフリカ沿岸部を広く治めたオマーンの支配下にあった時代や、イギリスの保護領だった時代もある。
19世紀、オマーンの王がザンジバルの宮廷にアラブ音楽をもちこんだ。もとよりアラブ方面から海を渡ってきた交易ルートがアフリカの内陸部へ浸透していく経由地だったこの地で、海の音と陸の音が化学反応を起こすのは時間の問題だった。成立した年代こそ違うが、地元で話されていたバントゥー諸語とアラビア語が混ざってスワヒリ語が生まれたように、多様な文化が溶け合うことでターラブという音楽が形づくられていったのだ。
カヌーンやウードなどアラブ起源の楽器が、アコーディオンやバイオリンなどと共に、演歌的な抒情性をもった旋律を奏で、コブシを回すボーカルを追っていく。曲の中には、日本で音楽教育を受けた者なら4分の3拍子にとってしまうものがあるが、リズム隊が、訛りのある8分の6拍子を貫くことで緊張感と躍動感が生まれる。カルチャー・ミュージカル・クラブの来日記念盤「ザンジバルのバラの香り」に収められた、ビ・キドゥデ参加のボーナス・トラック「キジティ」では、このアフリカ的なポリリズムをはっきり聴くことができるだろう。

その暮らしぶり
ターラブの女王は簡素に暮らしている。幾たびのワールド・ツアーを経て手にした外貨も、お金をせびりにやってきた周囲の人々に渡すうちに、1、2週間で無くなるという。持てる人は持たない人にほどこす。持たない人は持てる人にたかって当たり前。巷の、富の再分配システムは今も健在である。ザンジバル島の今や世界遺産、ストーン・タウンから乗り合いバスで10分ほどの郊外に、女王の小さな小さな城があった。コンクリート・ブロックむき出しの家屋の外壁には崩れたままのところもある。アラビック・コーヒーを飲み、カンガと呼ばれる布を身にまとい、野菜と穀類を中心とした料理をこの地の習慣どおり手づかみで食べている。
食事の場としても使われる土間にしかれたゴザには、数種類の植物が並んでいた。若いときから薬草治療師としても活躍してきたビ・キドゥデの家には、インタビューの最中にも近所の人が「薬をわけてください」と訪ねてくる。推定95歳のビ・キドゥデ、病み上がりだが元気そうだ。

「最近はだいぶ具合がいいね。こっちは傷を治す薬草、あっちは糖尿病、それは喘息だね、高血圧に効くのはこれだよ。みんなその辺に生えてるんだ。普通に料理して、日ごろからご飯やウガリ(トウモロコシを原料に作られる主食)のオカズとして食べてるよ。元気元気。平気だって言ってるのに、この間のコンサートでは歌わせてもらえなかった、まったくもう!」

アタシは10歳のときから歌ってるんだ!
 インタビューは、東アフリカの伝統音楽からポップスまでを紹介する大規模な音楽祭「サウティ・ザ・ブサラ」の会期中に行ったのだが、数日前に予定されていた彼女の出演は「体調不良のためキャンセル」された。音楽祭の事務局によると、この数ヶ月前、ヨーロッパ・ツアーから戻った彼女はヘルニアの手術のため緊急入院していて、退院後も、しばらくは太鼓を演奏することは禁じられているらしい。「誰の世話にもならんよ。(太鼓は当分無理でも)まだまだ歌えるんだから!」と語ったという。実際、しわがれていて張りもある彼女の話す声は、音質的に、歌声となんら変わるところがなく、リズムと抑揚が驚くほどはっきりしていて、病み上がりとは思えない。記録用に持ち込んだ録音機の入力レベルをかなり下げているにもかかわらず、ときおり入力過多を示す赤い光が点灯する。
 音楽祭では結局、プレ・イベントでのあいさつ以外に歌手としての出番はなかったが、舞台袖に置かれた特別席にビ・キドゥデの姿を何度もみかけた。コンゴ民主共和国起源のポップス「リンガラ」や、東アフリカで近年人気が急上昇しているヒップ・ホップ「ボンゴ・フレーバー」、打ち込みのビートの上で歌われる「モダン・ターラブ」のアーティストたちのステージをも彼女は注視していた。

「うん、どれもこれもおもしろかったよ。自分ではやろうとは思わないけど。さて・・・・・・聴きなさい。ターラブの話をしよう。アタシは10歳のときから歌ってるんだ!昔はね、ベールで顔を隠して、夜中12時ごろから明け方4時ごろまで室内で隠れるようにして歌っていたもんさ。最近は、夕方から、外でバンドとともにコンサートをするようになったね。オヒネリが行き交ったりしているし、今のターラブは昔とはだいぶ違うよ。子どものころは、港にアラブからやってきた船がいっぱい来ていたからね、出かけていっては、ドゥンバク(アラブ起源の片面太鼓)やなんか、いろんな太鼓を教えてもらってたんだ。」

ビ・キドゥデは子どものときから積極的に音楽について学んでいったが、彼女にもっとも影響を与えたのは、20世紀はじめに活躍した初の女性歌手、シティ・ビンティ・サーディだろう。アラビア語で歌われ男性中心で宮廷内に閉じていたターラブをスワヒリ語で歌い、広く一般のものとして開放した人物である。

「シティの家では、しょっちゅうターラブが演奏されててね、家を抜け出して夜中に聴きに行ったよ。子どもだから怒られないように外でこっそり聴いていたんだ。歌以外にも立ち振る舞いや衣装なんかも彼女を見て覚えたね。いいかい、しっかりお聴き。シティ・ビンティ・サーディやその歌について、よく知っている人間はこの世にビ・キドゥデひとりだよ!アタシは10歳のときから歌ってるんだ!アタシの歌の魅力に最初に気づいてくれたのは、マリヤム・ハムダニという女性だった。ストーン・タウンのブワワニ・ホテルでスワヒリ・ナイトって催しがあって聴きにきてくれていたんだ。彼女の家でシティの曲を練習したね。彼女とその夫のムハメッド・イリヤスのお陰で、いろんな国に行くことができたんだよ。」

ムハメッド・イリヤスは、ビ・キドゥデが初めて来日したとき('91年)のバンドのリーダーで、マリヤム・ハムダニはその妻だ。

「シティの歌では『スフバ・ヤ・ダイ』が好きだね。サヒブ・エル・アリーでよく歌ったねえ。♪お願い、あなたは私の・・・・・・」

 そのまま彼女は、「スフバ・ヤ・ダイ」(邦題:恋する者の嘆き)を2コーラスも歌ってくれた。話す声そのままの歌声。このあとも、曲名を話題に載せては、その曲をたっぷりと歌うことになる。歌いたくてしょうがない、といった感じだが、どの曲でも、歌詞の切れ目で「♪パラララララランラン」と旋律楽器が演奏するオブリガードを自ら歌っていた。このあたり、演歌をアカペラで歌うときに思わず入れてしまう、合いの手と同じ感覚だ。
かつて数多く存在した女性だけのターラブ楽団のひとつ、サヒブ・エル・アリーを、ドイツのレーベル、グローブスタイルが録音したことにより、ターラブ歌手、ビ・キドゥデも国際的に知られるようになった。始めての海外はドイツ、そして、フランス、日本、インド、フィンランドなどなど世界各地で熱狂的に迎えられ、公演を成功させたビ・キドゥデは、2005年、ワールド・ミュージックの見本市、WOMEXにおいて、ウォメックス・ワールド・ミュージック・アワードを受賞した。今年はドキュメンタリー映画も公開(日本公開は未定)されるなど、活躍の場をますます広げている。

ウニャゴ
 ところでビ・キドゥデは、消滅の危機に瀕している成女儀礼「ウニャゴ」の重要な担い手でもある。初潮を迎えた女性に対して、将来結婚したのちの料理や洗濯などについて、また夫やその家族への振る舞い方、特に夫婦間のセックスの仕方について教育するという儀礼だ。事前に読んだいくつかの資料によると、男性がウニャゴを見ることは特にタブーとされており、秘密裏に、太鼓を打ち鳴らし、歌を歌い、ダンスを通して具体的な体位なども勉強する。ビ・キドゥデはこの儀礼を行うことのできる数少ない人物のひとりで、ムソンドと呼ばれる片面太鼓を演奏しながら、リード・シンガーも務める。

「ウニャゴは若いときからやっているね。トゥトゥとキンガンガという太鼓が刻むリズムの上で、アタシがムソンドでソロを入れて、歌を歌うんだ。この間も畑の向こうでやってきたばかり。」

ビ・キドゥデの新譜「ザンジバラ4ザンジバル音楽の記念碑」で「ムソンド」のタイトルで収録されている曲はウニャゴの録音であり、「鶏よ寝なさい、鶏よ寝なさい」といった隠喩に満ちた歌から、「髪が白くなっても、歯が抜けていても、あんたのお道具が生きてりゃ大丈夫!」といった直接的な歌まで聴くことができる。音楽祭のプレイベントにビ・キドゥデが出席した際も、あいさつがわりに軽くウニャゴの曲をステージで歌っていたし、彼女のドキュメンタリーにもウニャゴの模様が収録されている。仮にデモンストレーションだとしても、極秘であるはずの儀礼をこういった方法で公にすることに問題はないのだろうか?

「よくお聞き。ウニャゴにはね、3種類あるんだ。ひとつはアンタの言う秘密のウニャゴだ。もうひとつは結婚間近の花嫁と花婿を洗い清めるときのウニャゴ、男でも結婚するんだったら体験できるね。そして、外のウニャゴ。これは結婚式の余興でやるくらいだから、ショーの要素が強い。公にできるのは、この外のウニャゴなんだ。演奏も踊りも同じウニャゴだけど何も問題はないよ。」

反骨の女王
語りながら彼女は、タバコに火をつけおいしそうに吸い始めた。ビ・キドゥデはヘビー・スモーカーでビールを好む。イスラムの島・ザンジバルに住む女性としては驚くべきことだが、この嗜好自体が彼女の存在を象徴しているように思える。大人の言うことをものともしなかった子ども時代に始まる、体制に収まろうとしなかったその半生を。
この国では、タバコはばら売りにされ一本ずつ買うのが一般的だが、ホワイト・カラー御用達の高級銘柄「エンバシー」を一箱胸ポケットにしのばせているのは、彼女のささやかな贅沢だろう。
「アタシは酒を飲んで、タバコを吸って、スピーカーなしで歌うんだ」とは、ドキュメンタリー映画で発した名言だ。現地で行われたワールド・プレミアではこのセリフで満場の客が沸いた。

最後に、日本のファンへのメッセージを、と乞うと彼女は居住まいを正して少し考え、そして言った。

「前に日本に行ったときはまだまだ、ひよっこでした。けれども、この夏はみなさんに一人前のビ・キドゥデをご覧に入れましょう。お楽しみに。」

ザンジバルの通貨がシリングになる以前、ルピーだった時代まで覚えているというターラブ界の女王は、今日も現役最前線にいる。

(2007年2月 ザンジバル、ビ・キドゥデの自宅にて)


ビ・キドゥデ自宅にて


イギリスで制作された、ドキュメンタリー


「サウティ・ザ・ブサラ」舞台あいさつ


「サウティ・ザ・ブサラ」舞台袖でTV取材を受ける


ビ・キドゥデの名を冠したレストラン(ザンジバル・ストーンタウン)


ビ・キドゥデ受賞記念作「ザンジバラ4:ザンジバル音楽の記念碑」


来日情報/プロフィール

ビ・キドゥデからのメッセージ(動画)