トム・ムーア監督
――新作『ウルフウォーカー』は2020年9月10日開幕の第45回トロント国際映画祭でワールド・プレミア上映されたそうですが、観客の反応はどうだったのでしょうか?
■かなり好評だったみたいです。今のところ、レヴューもすごくいいものばかりですが、観客と一緒に映画館にいられなかったのは変な感じでしたね。
――この新作は、『ブレンダンとケルズの秘密』、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』に続く「ケルト三部作」の最終作とアナウンスされていますが、『ブレンダンとケルズの秘密』を制作している時から「三部作」にしようと構想していたのですか?
■いや、3部作としての構想したのは、『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』を制作し始めた頃からでした。
――この新作は、野生との共存、文明の脆弱さ、子供(少女)の力強さ、五感の大切さ、イングランドのオリヴァー・クロムウェルを想起させる護国卿の圧政などなど、様々な点から語られるべき集大成的な作品だと思いました。シナリオを書く上で、特に苦労したり注意を払ったりしたのはどういう点でしたか?
■説教臭くならないようにするということと、あとは若い観客を常に念頭に入れておく必要がありました。私たちは、幼い二人の少女、メーヴとロビンの物語にフォーカスし、彼女たちの目線を通してそれらの問題に取り組むのがベストだと感じたんです。でも、その単純な解決策にたどり着くまでには、たくさんの案があったんですよね。
――9世紀を舞台にした『ブレンダンとケルズの秘密』では、黒人修道士も登場していましたが、その意図は? というか、実際にいたんでしょうか?
■そうなんですよ! 私たちは、当時のアイルランドには、修道院で学ぶために世界中から訪問者があったということを伝えたかったんです。「ケルズの書」には、アフリカからもたらされたインクやデザインの影響がありました。だから、黒人僧の Brother Assoua は、そういった影響を描いたものなんです。
――そもそも、これほどまでに「ケルト」にこだわってきたのはなぜでしょうか?
■単純に、私が生まれ育ったカルチャーということでして、私はそれを確かなものとして、次の世代に示したかったんです。
――あなた自身とケルト文化の関わりについて、具体的に教えてください。
■正直なところ、自分がケルト文化に浸っていることに気づいたのは、青年の時に少し旅をしてからでした。10代の頃は、もっとアメリカや日本のアニメーションや漫画、コミックに興味があったんです。私は、自分たち自身の文化に対する感謝の気持ちはさほど持っていなかったのだけど、成長するに従って、そこに何か特別なもの、共有できるものがあると気づいたんです。
――「ケルト三部作」のストーリーは、どれもアイルランドの民話や伝説を土台にしていますが、その理由は?
■民間伝承を介した繋がりを感じたからこそ、3つの作品が姉妹作として一緒に座ることができたんです。
――アイルランドの民話や伝説は、現代社会においてどのような役割を果たせると思いますか?
■あらゆる民間伝承がそうであるように、私たちと過去、先代たちの知恵を結びつけて、普遍的な真理への洞察を与えてくれるものだと思っています。私は、現代人たちは自然や自然界との繋がりを失っているように感じています。アイルランドの伝承は私たちに、実は自然や動物たちの世界がいかに身近なものであるか、いかに私たちの存在が相互に関与しあっているかを思い出させてくれるんです。
――「ケルト三部作」では一貫して、ケルト文化の象徴である「渦巻き(Gyre)」がデザインのベースになっていますよね。あなた自身にとって「渦巻き」はどういう意味を持ち、何を喚起するのでしょう? また、「渦巻き」によって観客に何を伝えたいと思っているのでしょうか?
■渦巻きは、しばしば三位一体、霊性、そして古代の宗教の感覚と関係しています。そして、単純にとても美しいシンボルでもある。それは、私たちが文字を書いたり歴史を記録するよりずっと昔に岩を彫っていたようなアーティストたちと繋がっているものだと思います。
――アイルランドには、日本と同じく、アニミズムの文化が根強く残っていると思いますが、何か具体例を教えてください。個人的なことでもいいです。
■これは他の多くの民間伝承も同じだと思いますが、世界を視るための本能的な、そして極めて正しい方法なのではないでしょうか。私たちは環境から切り離されているわけではないと思います。実際、木や動物など、人間ではないけどただの物でもなく、人と同じように尊重されるべきものたちがある。 もっとも一般的なのは…説明のつかないできごとが「妖精」の仕業とされたり、農民たちが古代の塚を「妖精の砦」として決して立ち入らなかったり、あるいは、立てられた巨石や古の彫刻には特別な力が宿っていると信じられていたり。私が子供の頃住んでいた場所の近くには、「ぼろぼろの木」がありました。病気や悩みがある人のために、人々は布の切れ端をその古い木に結んで、それがぼろぼろに擦り切れる頃には病気も消えると信じられていたんです。とりわけ私が気に入っている例は、しばしばキリスト教以前から神聖な場所として崇められきた「聖なる井戸」です。人々が誰かに祈りを捧げるために、小さなトーテムや捧げ物をそこに供えに来るんです。一風変わった公共の場でありながら、とてもプライヴェートな場でもあり、祈るためにそこに来た人々の心に訴えかける思い出…おもちゃ、古い眼鏡、ロザリオビーズなどを見つけることができるんですよ。
――アイルランド経済が大活況を呈した、いわゆる「ケルティック・タイガー」時代(1990年代半ば~2008年頃)にあなた自身が感じていた心地よさと心地悪さについて、具体的に語ってください。
■あれは、人々がアイリッシュであることに自信を持ち、素晴らしいことだと誇りを持てるようになり始めた時期でしたが、同時に、一種のカオス、消費主義への突進、古い伝統からの脱却、自分たちの歴史を恥ずかしいと感じ、できるだけ早く忘れてしまおうとしていた時期でもありました。それは、私を悲しい気持ちにさせました。私は、自然とのバランスを取りながら最近まで土地と密着して暮らす素朴な民であった自分たちの過去を忘れないことが大切だと感じていましたし、また、自分たちもかつて移民だったのだから、アイルランドへの新たな移住者に対して不親切にならないようにすることを忘れちゃいけないとも思っています。そう、あの頃は、自分たちの言語や習慣も、一種のグローバリズムのスープの中に姿を消していくような気がしていました。
――そういった心情も「ケルト三部作」とは関係あるんでしょうね?
■そうですね…いろんな面において、成功のために私たちの文化やアートが偽アメリカ的にならざるを得ないという感覚への抵抗であり、若い世代に自分たちの遺産を思い出させたいという気持ちがあったんですよね。私たちはいまだに自分たちの文化について、ある種の植民地化を受けた屈辱に苦しんでおり、国際的な評価や成功を受けた時しか自国の文化を賞賛しないんです。
――「ケルト三部作」ではずっと音楽をフランスの作曲家ブリュノ・クレ (Bruno Coulais)と、ダブリンのバンドであるキーラ(Kila)が担当してきました。彼らを起用した理由は?
■ブリュノはフランス人ですが、世界中のミュージシャンと仕事をしていて、『キャラバン(Himalaya - l'enfance d'un chef)』とか『白くまになりたかった子ども(L'enfant qui voulait être un ours)』などのスコアには、たびたび先住民族のミュージシャンが参加してます。彼の音楽は、映画的言語に対する普遍的な感性と感謝をもたらしてくれる。だから、本物の伝統的アイルランド音楽の感性を持ち込んでくれるキーラのメンバーとは本当にファンタスティックなコラボレーションになるんです。彼らのコラボは『ブレンダンとケルズの秘密』でも素晴らしかったし、それが『ソング・オブ・ザ・シー 海のうた』、そして今回の『ウルフウォーカー』でも続くことは明らかでした。
――あなた自身は、アイルランド/ケルトの伝統音楽にはどの程度親しんできましたか?
特に好きなミュージシャンがいたら教えてください。
特に好きなミュージシャンがいたら教えてください。
■今作を一緒に監督したロス・スチュアート(註:『ブレンダンとケルズの秘密』でアートディレクターを務めた)は彼自身がミュージシャンだから、この答えは彼に任せたいところです(笑) 彼とのつきあいの中で、私もたくさんの伝統音楽家を発見してきましたからね。でも、10代の頃はクラナドが好きでした。彼らの伝統音楽の幻想的かつ映画的なセンスが。
――あなたの作品からは、いつもジブリ作品に対するリスペクトの情を感じます。他のアニメーション作品にはないジブリ作品だけの魅力は何だと思いますか?
■ディテールへのこだわり、若いオーディエンスを尊重する、より静かなペース感覚、そして日本文化への洞察を与えながらも普遍的国際的であり続けるという事実、かな。
『もののけ姫』のように、ニュアンス豊かなキャラクターでアクション・アドヴェンチャーを作ったり、『となりのトトロ』や『崖の上のポニョ』のように、子供たちのために純粋で軽快なものも作ったりして、しかも子供時代の痛みや環境問題へもちゃんと語っている。本当に愛してます。あと、高畑勲監督の映画には、アニメ作品には珍しい詩情と繊細さがあると思います。
『もののけ姫』のように、ニュアンス豊かなキャラクターでアクション・アドヴェンチャーを作ったり、『となりのトトロ』や『崖の上のポニョ』のように、子供たちのために純粋で軽快なものも作ったりして、しかも子供時代の痛みや環境問題へもちゃんと語っている。本当に愛してます。あと、高畑勲監督の映画には、アニメ作品には珍しい詩情と繊細さがあると思います。
――『ウルフウォーカー』の作画には、その高畑監督の『かぐや姫の物語』からの影響も感じました。
■『かぐや姫の物語』からは主に、アニメーションにおける線のスタイルの自由さという点で大きな影響を受けました。描かれたキャラクターや背景の雰囲気を伝える表現主義的かつ主観的な視点は、私たちにインスピレーションを与えてくれました。
――あなたはハリウッド型のCGではなく手描きにこだわってきましたが、手描きアニメだけの魅力、あるいは手描きアニメでしか表現できない世界があるとすれば、どういうものでしょうか?
■“不完全な”手描きにしか存在しない個性があるからです。顔写真は、似顔絵とは全然違います。それぞれのアーティストは、何をどう表現するかに自分自身の多くを込めるものです。手描きのアニメーションは、有史以前にまで遡る描画や絵画の長い歴史に語りかけるものなんです。他の方法より良いとか悪いとかではない、独自の言語ということです。私は、手描きのアニメーションには、まだまだ無限の可能性があると思っています。
――これだけ評価が高まるとハリウッドでの活動の誘いもあるのではないかと思いますが、今後、その可能性は?
■正直、わかりません。けど、今のところは、私はここアイルランドの自分たちのスタジオで仕事を続けることをとても幸せに思っています。
――今回の新作は、コロナ禍時代での公開となりましたが、何か思うところはありますか?
■今は映画館のようなソーシャルな体験を簡単に楽しめないのが悲しいですよね。私たちは自宅で映画を完成させなくてはなりませんでした。理想的ではないけど、まあ、やれなくはない。私はヴィーガン(菜食主義者)ですが、動物の命を尊重する姿勢が崩れてしまったことが、このパンデミックの原因だと信じています。動物を商品として扱う我々の姿勢は、動物だけではなく我々にとっても悪いことなんです。あらゆる人獣共通感染症ウイルスは、食物やその他の人間の目的に使用された動物から発生すのものですからね。
私たち人間は早急に人間以外の生き物との関係を修復し、種差別に対処する必要があると思います。さもないと、今後もパンデミックや環境変動によって分断され、散り散りになってしまうでしょう。
私たち人間は早急に人間以外の生き物との関係を修復し、種差別に対処する必要があると思います。さもないと、今後もパンデミックや環境変動によって分断され、散り散りになってしまうでしょう。
――次はどういう作品を構想しているのか、答えられる範囲で教えていただけますか?
■私は今グリーンピースと一緒に、工業化された食肉生産のために破壊されたアマゾン熱帯雨林に関するプロジェクトに取り組んでいるんです。できるかぎりたくさんのところで、『ウルフウォーカー』と一緒に短編フィルムの上映もしたいと思っています。来年は絵を描くことに集中するため休みをろうと思っているんですが、私たちのスタジオ(カートゥーン・サルーン)は忙しいんですよ。スタジオの仲間のノラ・トゥミーは今『エルマーの冒険』という映画の監督をしているし、その他にもTVシリーズ『ウーナとババの島』の長編版とか、いくつかTVシリーズなども作っていて…とても忙しいんですよ!