■ケルト民族とは
ケルト人は、オーストリア、ドイツ、スイスのアルプス地方を原郷に、紀元前500−50年頃、ヨーロッパ全土に広がっていた先住民族だった。ローマ帝国に追われるまでケルト文化は全盛期を築き、広大な地域に居住していた。
しかし、紀元前1−2世紀にローマ帝国に征服され、続くゲルマン民族にも追われ、西へ西へと、現在のアイルランド、スコットランド、マン島、ウェールズ、コーンウェル、ブルターニュなど、ヨーロッパ最西端に辿り着き生き延びた民族である。言語はインド・ヨーロッパ語のケルト語派に属すそうで、アイリッシュのゲール語、スコティッシュのガーリックは同一ではないが近縁にある。アイルランドではイギリスの800年にわたる統治下、英語が公用語として浸透したが、現在も北部、西部の一部の地域ではゲール語を第一言語、日常語として話す人々が存在する。アイルランド政府はゲール語の復興に力を入れ、ゲール語のみの放送局(TV、ラジオ)、学校教育を普及させた。
■もう一つのヨーロッパのルーツ
元来、ヨーロッパ文明の源流といえぱ、古代ギリシャ・ローマの古典文明であるとされてきた。ケルトの文化は、ヨーロッパにあって2500年以上の歴史を保ってきたのであるが、その原点の古代ケルト人は文字を持たず、記録を全く残さなかった。このため、「幻の文明」として謎めき、長く、ギリシャ・ローマ文明の蔭に埋もれていた。
近代の、美術、文学研究により、もうひとつの重要なヨーロッパの根源として、この「ケルト文明」の存在が全世界的に注目を浴びるようになった。いわゆるヨーロッパ的思想の基本、人間の身体と意識が世界の中心をつくるという、人間中心主義はケルトの考えには存在せず、人間・動物、自然界が連動する、宇宙的思想であったといわれる。
その実像が明らかになるにつれ、ケルト的思想が脚光を浴びてきた。98年の日本での東京都美術館での「ケルト展」でも、ケルトがヨーロッパの中の「非ヨーロッパ」「もうひとつのヨーロッパの根源」ということがテーマとして展開された。
では、その考え方についてー。
■ケルトの世界観
神話や遺跡、陶器など、残されたケルトの足跡から浮かび上がるケルトの伝統、そこには唯一絶対の神がいたわけではなく、ギリシャ人のように神々を擬人化して崇拝することはなかった。
彼らが崇拝した神々は400を越える自然そのものの化身であった。神秘に満ちた森の木々、海の彼方を崇め、現世と来世(異界)を自由に繋ぐ神話世界を表現したのである。
ケルト人の世界観は、自然界の死と再生の輸廻を思想としているといわれ、我々日本人や東洋の思想とも共通する。ケルトのイメージ、造形では、人間・動物、自然界は連動している。
映画「ロード・オブ・ザ・リング」もこういったケルトの神話、世界観がベースとして描かれている。アイルランド最北端ドニゴール出身の、エンヤの歌やアルタンのマレート・ニ・ウィニーの歌にはケルト的世界観が感じられる。
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